人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。ニート生活を経て2021年4月より底辺職をしながら細々と生きる初老クソ親父の無駄口です...

タグ:PL学園

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9月になりました。
家庭のゴタゴタで病んで来ました。
今後状況は悪化することはあっても改善することはないであろう。
それもまた人生。

さて、また現実逃避に高校野球のことでもうだうだと書きます。

もう1ヶ月前になった高校野球甲子園交流試合。
明徳義塾がサヨナラ勝ちした試合や、中京vs智弁の延長戦を見てるとやっぱ甲子園はいいなぁ、と思えましたが。
やっぱり所詮は1試合限定の交流試合。
観客も居ないし、あまり意義があったとは言えなかった。

明らかに勝つ気が無い学校があった。
天理と仙台育英。きっと交流試合の意義を感じなかったのだろう。3年中心のメンバーで戦い、主力の2年はあまり使わなかった。

注目のカードと言われた履正社vs星稜はワンサイドゲームだった。
履正社が強過ぎたのか、星稜が何の準備もしてなかったのかは不明だが、落胆した。
今年もし普通にトーナメントが行われてたら履正社が余裕の2連覇だっただろう。いかに中京の投手でも疲れが出たら履正社は止められないだろう。
大阪桐蔭vs東海大相模はぱっと見好ゲームだったが、大阪桐蔭は怪我人続出でも勝った。実力的には圧勝だった。
その大阪桐蔭に予選で圧勝した履正社がやはり王者と言える。

他、完敗した智弁和歌山や21世紀枠に敗れた健大高崎は今後に尾を引くんじゃないかと思う情けなさで、交流試合なんか無ければ良かったと思っているだろう。

コロナがいつまで続くかわからんが、秋の大会は普通にあるのかな。ワクチンでもできない限り高校野球のトーンは格段に落ち、今後強豪校に有力な選手も入って来なくなるだろう。
観客入れなければ毎日、朝日新聞も主催を降りるだろう。

最近ネットカフェに行った時、「バトルスタディーズ」という高校野球漫画を読みました。

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作者はPL学園野球部出身で、甲子園にも出たそうな。
2試合ノーヒットで送りバントを決めただけだそうですが。
悪名高かった付き人制や地獄の寮生活が描かれていました。
流石に実名は出せないのでDL学園としています。

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野球漫画としてはかなり高い評価を得ているようです。
作者がPLに進学したきっかけは、松坂の横浜との延長17回の試合を観戦したことらしい。
確かにあの試合は球史に残ると言える試合でした。
もう22年前のことです。

横浜高校と聞いて思い出すのは、松坂の2年上のエースだった丹波投手のこと。
松坂以上の逸材だったと渡辺元監督は今でも言っている。
丹波を擁して全国制覇する気満々だったが、秋季大会直前に就寝中の丹波投手が突然死する。
心臓麻痺かなんかだったのかな。
こんなこと言うと怒られるが、綺麗な死に方だ。
正直羨ましくもある。。
大黒柱を失ったこの時の横浜は外野兼二番手投手の松井をエースにして春夏甲子園に出ています。
この時1年だった松坂や2年だった上地雄輔がベンチにいたかは不明です。

そんなことをダラダラと思い出しました。
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4
もうすっかり夏である。
先週末2,3日はとても涼しかったが、すぐに暑さが戻ってきた。
エアコンが全開の日々です。

また高校野球の予選も真っ盛りである。
先日スポーツ新聞の一面見出しは表題の文でした。

高校野球の一時代を築いたPL学園の野球部が予選の初戦で敗退。
これを以って野球部の歴史に幕を閉じたということである。

昔はあまりにも強かったので、まるで平家の没落のような感慨があります。

特に私のような、高校野球を一番見てた時代に初優勝から全盛期だったので、
私世代の高校野球好きは、皆PLの校歌を覚えている。

生まれてはじめて野球を生観戦したのは大阪予選の準決勝で
PL対北陽だった。小3ぐらいの頃。
この試合でPLは負けたのだが、この頃からオーラはあったように思う。

その翌年に西田ー木戸のバッテリーで甲子園初優勝したのは、克明に覚えている。
ほぼ全試合をテレビで見ていた。
準決勝決勝は連続して神懸かった逆転だった。

その後、小早川を擁してベスト4、吉村、西川を擁して優勝など。
出場すれば基本的に優勝候補だった。
今だと大阪桐蔭がこれに若干近いか。

その後、池田の黄金時代を終わらせた桑田清原が1年の時から、
強さが完全に定着したと思う。

最近の高校野球はあまり見れてないが、歴代甲子園出場チームで最強は
恐らく松坂のいた横浜。その次は79年頃の箕島。
これに続くのは桑田清原1年時のPL、立浪のいたPL、桑田清原3年時のPL。
そんな感じかなぁと思う。

不況でPL教団はもう虫の息らしいので、そのうち学校は閉鎖されるだろう。
もうあのユニフォームも応援団も見ることは無い。

宗教系の学校は特待生をスカウトしたりするから基本的に野球は強い。
今春を制した智弁学園もそうだし、天理や智弁和歌山、創価、
仏教系では上宮、東山とか、平安もそうだろうか。
創価以外は関西しか知らんけど。

信者数から見ると、創価なんかやりようによっては
PL並の一時代を築けるかも。公明党大嫌いだからしてほしく無いけど。

というわけで、また一つ若い頃からの思い出が消えて行き、
こうして老化、人生のフェイドアウトが進んで行くのだろう。
 
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3
今年はワイドショーネタが豊作ですね。(^.^;
芸能レポーターは大喜びだろう。
ネタを探さなくても向こうから次々とやって来る。入れ食い状態。
有名人も悪いことするなら今のうちだろう。

数日前、清原が覚醒剤使用の現行犯で捕まった。
どうも彼の覚醒剤はだいぶ前から芸能界内では公知のことだったようだ。
ダウンタウンの浜田が、番組で清原に
「お前薬やってんの?」って聞いてたぐらいだから。

彼の逮捕は自業自得で同情する気は欠片も無いが、
テレビで彼の過去の栄光の歴史の映像を見ていると
いろいろとノスタルジックな気分になります。

自分は野球見るの好きで、大阪在住だったから、
PL学園が甲子園に出た時はいつも注目してました。
清原が1年の時の甲子園デビューは生観戦しました。
たしか埼玉の所沢商業との試合だった。
1年生なのに一番体がデカかった。その試合ではノーヒットでした。
この試合では同じ1年生桑田が完璧なコントロールを披露して圧巻なデビューを果たした。

清原も次の試合からは本領を発揮、
甲子園での清原の本塁打数、桑田の勝ち星は今後永久に破られることは無い。
(清原の記録が無効にならなければの話ですが)

その後のプロでの活躍は誰もが知るところですが、彼特有の数々のストレスがあったのだろう。
PL学園での監獄のような娯楽の無い生活。
チームメート桑田と巨人のドラフトでの強烈な裏切り。
西武で最強チームの4番打者としていくら活躍しても、当時は所詮パリーグ、
満員になることはなく、常に満員の巨人をうらめしく思ったことでしょう。

また、彼は同世代の中では体格と技術がずば抜けていたためか、
選手としてのピークが早く、20代前半だったのではないかと思う。
下降するのも早かった。
念願の巨人に移籍したのは29歳の時、もう晩年だった。
(普通の選手なら一番脂の乗りきった時だろうけど)

巨人で理想のバッティングができなくなっていった彼は、怪我もあったりして
肉体改造とか言って上半身ばかり筋肉がついてみるみる太っていった。
それを支えきれずに足を故障し、引退するまで悪化の一途を辿ったと思う。

巨人のその頃にきっと暴力団が近づいて来て、風貌がどんどんヤクザ化していった。
野球だけしかしてこなかった彼には、ヤクザの甘い誘いを断る術が無かったのかな、と思う。
クスリもこの頃から始めたのだろうか。。
西武の終わり頃からやってたという記事もネットにはあったが。
自分の限界が見えてしまった時、事切れてしまったのだろうか。。
お金はいくらでもあったので、完全にヤクザの思う壷だったのではなかろうか。

離婚の原因もきっと覚醒剤がばれたからだろう。
息子は野球が相当うまいという話だが、今となってはもう野球は
辞めざるを得ないでしょう。

数ヶ月前だったか、SMAPの中居が司会する番組に清原が出て、
「死んでしまおうと思うこともあった」
とか言ってたが、本当に死んどくべきだった。
彼のお母さんは認知症で、離婚したことも認識してないらしいから、
当然この逮捕も理解出来ないだろう。
それは唯一の救いか。

とはいうものの、大多数の一般人の何の面白みも無い人生に比べたら、
最期が悲惨であったとしても、トータルとして清原の生涯は充実した
いい人生だったと思う。

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