こんにちは。人生の敗北宣言を毎日してる者です。
今日は中華ポテトを作ってみたが、見た目はまぁまぁながら売り物のようなカリッとした食感が無く柔らかくて不評だった。。

さて、負け犬人生を振り返るのは、つまらんのでこれで最後にします。

約7年前、いろいろあって休職後職場復帰する。
仕事内容は休職前より若干楽な業務に変えてもらった。
楽な業務と言っても、大卒総合職にとってはやや楽な業務というだけで、人類一無能な私にはそれでも苦痛なものでした。
本来なら死んでた筈の私、前にも増して頑張ることをせず、おまけの人生はきっとそのうちまた行き詰まって今度こそ死ぬ、という前提で毎日を淡々と喜怒哀楽のほぼ無い生活を送ってました。

若い頃、上司に言われたことを思い出しました。
「会社は学校とは違うから、出来の悪い者を引き上げるようなことはしない。」
要は出来の悪い奴は最初から居てはいけない所なんだ。。
努力が報われるなんてことも、能力がある人だけの話です。
無能な人間は努力する資格も無い。

そんな中、2014年に娘が希望する大学付属高校に合格。おまけにその学校は翌年甲子園で準決勝まで行く。
単身赴任ながら休日はタイ旅行や沖縄旅行や関東関西に何度も野球観戦に行ったりと、刹那的にそこそこ楽しんでいました。
ただ、平日の仕事はもちろん地獄でした。

娘が高校に受かった時に、自分の人生設計がほぼ固まった。
よっぽど失敗しなければ、娘はエスカレーター式に大学に入り、就職もたぶん大学4年になった頃に決まるだろう。
子供が自立すれば親の役目は終わり。
そのタイミングで早期退職しよう。
もちろんその決意は直前まで家族にも黙ってました。

辞める日を決めると、後はその日が来るのを待つことだけが生きるモチベーションでした。
子育てさえ終われば、自分の老後なんて無くてよい。大人を養う筋合いも無い。辞めさえすればしばらくの間自由気ままな生活が送れるだろうと。

しかし50歳頃、それも幻想だとわかった。
老化や更年期で度々体調が悪くなる。そしてなんと言っても外見が加速度的に醜く衰えて行く。
その頃会社で50歳の社員を集めて今後のライフプランを考える研修みたいなのがあり、奥さん連れで参加している人もいたのですが、男女問わず参加者達の見た目の酷さが自分も含めて悲しかった。。

こんな自分、生きてるだけで自分も他人も迷惑だ。退職後の楽しい生活等あり得ない。結局人生なんてどう生きようが虚しいだけだという結論に達しました。
自分の寿命はやっぱりあの7年前にすべきだった。

それからはずっと軽い希死念慮に囚われながら生きています。
しかも私には自死する実力も無い。敗戦処理のような日々。
その後2年間は何とか仕事を続けて、息も絶え絶えに当初の予定通り早期退職したのが今年の春です。
勝手に決めて誰の賛同も得ずに辞めたので、家族からは心底憎まれて今の生活に至っています。

今後希望と言えることは何も無い。
あるとすれば完全に一人で暮らすことぐらいか。
一人で引きこもってると、やがて暇すぎて何かやりたくなるか、あるいはセルフネグレクトしてゴミ山の中で孤独死するか。
どっちにしてもしょーもない人生です。
でも死ねなかったのは自分が悪いのでこれからも自然死するまでは生きるしかないのでしょう。。

勝ち組だの負け組だのという言葉があるが、こんな世の中になってしまうと、生きてる人は皆負け組に思える。
地獄を見る前に無事に天寿を全うした人こそ勝ち組ではないかと。
コロナは往生際悪くウダウダと生きてる奴に対する天罰じゃないかと。。

くだらん自分語りをしてしまった。そんな自分に虫唾が走る。。
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