私は会社で未だに定期的に産業医の面談を受けている。
鬱病休職歴のある奴はたぶん会社辞めるまでずっと面談が義務になる。
自殺未遂した時は今とは違う産業医だった。
私が広島に転籍になる直前あたりに高齢の産業医が病死したらしく、入社時は東京本社の産業医(これも高齢のジジイ)が週1で掛け持ちで産業医をやってた。
仕事から逃げたくて、とにかく休職したくて当時その掛け持ち産業医の面談を受けた。
「君は病気になって休職したいんだろうけど、これは環境不適応だ。今の仕事を変わらない限り状況は改善されない。病気ではない。」
と、本当のことをピタリと言い当てられた。
演技もばれていた。
私は「わかりました。退職します。」
と答えたと思う。
その後、自殺未遂したのは自分の意思か、錯乱状態がそうさせたかは定かじゃないが、この産業医への当て付けも無意識にあったのかも知れない。
休職後、復職面談を受けに行った時、この産業医は烈火のごとく怒っていた。
自分の診断を反故にして力ずくで休職したと思われたのだろう。実際それに近いし。
なかなか復職を許可しなかった。きっと永久に許可したくなかっただろうが、主治医の許可に値する診断書もあったので、最後は渋々許可した。
「2度とあんなことはしないとここで約束しなさい」
と言われた。しねーよ!と思いながら従った。
付き添いのような形で同席してた総務の若い女子社員は私をゴミを見るような目付きで見ていた。
復職して間もなく産業医が変わった。
募集して採用されたらしい。30代と思われる若い女医だった。
この女医との面談は、私が何を言ってもうんうんと肯定して同調するような感じで、いつも短時間で終わった。こんな面談だったら俺でも出来るわ、と内心思った。
先日、来年度中に辞めるつもりであることを話した時も、驚くこともなく、そうですか、で終わった。
「上司から引き留められても、毅然とするように」と逆に辞めることを応援された。
きっと、面談する相手が1人でも減ることが大歓迎なのだろう。
「辞めて東京で何をするのですか?」
と聞かれたが、
「大きなお世話です。」
と答えた。
また3カ月後ぐらいに面談があるらしい。もう辞めるのに。
鬱病休職歴のある奴はたぶん会社辞めるまでずっと面談が義務になる。
自殺未遂した時は今とは違う産業医だった。
私が広島に転籍になる直前あたりに高齢の産業医が病死したらしく、入社時は東京本社の産業医(これも高齢のジジイ)が週1で掛け持ちで産業医をやってた。
仕事から逃げたくて、とにかく休職したくて当時その掛け持ち産業医の面談を受けた。
「君は病気になって休職したいんだろうけど、これは環境不適応だ。今の仕事を変わらない限り状況は改善されない。病気ではない。」
と、本当のことをピタリと言い当てられた。
演技もばれていた。

私は「わかりました。退職します。」
と答えたと思う。
その後、自殺未遂したのは自分の意思か、錯乱状態がそうさせたかは定かじゃないが、この産業医への当て付けも無意識にあったのかも知れない。
休職後、復職面談を受けに行った時、この産業医は烈火のごとく怒っていた。
自分の診断を反故にして力ずくで休職したと思われたのだろう。実際それに近いし。
なかなか復職を許可しなかった。きっと永久に許可したくなかっただろうが、主治医の許可に値する診断書もあったので、最後は渋々許可した。
「2度とあんなことはしないとここで約束しなさい」
と言われた。しねーよ!と思いながら従った。
付き添いのような形で同席してた総務の若い女子社員は私をゴミを見るような目付きで見ていた。
復職して間もなく産業医が変わった。
募集して採用されたらしい。30代と思われる若い女医だった。
この女医との面談は、私が何を言ってもうんうんと肯定して同調するような感じで、いつも短時間で終わった。こんな面談だったら俺でも出来るわ、と内心思った。
先日、来年度中に辞めるつもりであることを話した時も、驚くこともなく、そうですか、で終わった。
「上司から引き留められても、毅然とするように」と逆に辞めることを応援された。

きっと、面談する相手が1人でも減ることが大歓迎なのだろう。
「辞めて東京で何をするのですか?」
と聞かれたが、
「大きなお世話です。」
と答えた。
また3カ月後ぐらいに面談があるらしい。もう辞めるのに。


