人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。これにより名実ともに負け組になった初老親父の無駄口です...

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秋らしい気候になって来ました。
すぐ寒い冬になるんだろうか。。

今日からプロ野球は観客が増えてました。
このまま大した感染増が起こらなければ、高校野球秋季大会や来年の選抜甲子園、そしてオリンピックも開催されることを祈りたいものです。

会社辞めてニートになって早くも半年。
友人は居なくなり、家族からは疎まれ憎まれ、完全に世の中から排除されて生きてます。
早期退職した以上、こうなることは想定内でした。
同級生達は皆後10年ぐらいは真面目に働くのですから。。

願わくば来年春以降、小遣い稼ぎのバイト程度でも良いから何か働かないとなぁ、と漠然と思い続けてましたが、きっとそれも無理だろうと思うに至ってます。
それについてはまたいつか書けたら書きます。

私の人生は挫折の連続。挫折の中で完結する。
今はその最終段階の敗戦処理に思えます。
暗い昏い人生を簡単に振り返ってみる。

生まれてから11歳までは普通の無邪気な少年でした。
私の人生で一番幸せな時期はきっとこの11年です。

11歳の小5冬。教育にやたらうるさい父親に進学塾に行かされました。私立の中高に行かせる目的で。
それまで私は同級生の中では何事も自分は中の上ぐらいじゃないかと自惚れていました。
塾に行かされて、現実を突きつけられる。
こっちが何億年勉強したって到底及ばない秀才が無数にいることを知る。自分は少なくとも中よりは下の劣等生だとわかってしまい、心が折れた。これ以降一切の努力をしなくなりました。
これが最初の挫折。
それ以降今に至るまでずっと落ちこぼれ人生です。

結局無名な中高一貫の私立に進学し、そこでも当然成績は下の方。

中学の最初の1年は大変だったけど、そのうち底辺人生にも慣れてきて中2〜高1あたりの3年間はそこそこ気楽に野球ばっかり観戦する毎日でした。
落ちこぼれなので友達はほとんどいなかったが、未だに連絡を取り合う友人(何故か凄い秀才)が一人この時に出来た。
この3年間は幼少期に続く第二充実期と言える。
他人から見たら友達の少ない暗くてショボい毎日ですが。。

高2からは周りが大学受験モードになり、再び暗黒期になります。ろくに勉強してないくせに周りが眩しすぎて軽い鬱になってた気がします。
結局地方の国立大に引っかかりました。
その大学、関西では全く無名で校内で受験したのは私だけでした。

お世辞にも一流とは言えない大学でしたが、それでも同級生は私よりはるかに優秀な人ばかり。
私は留年してしまい、卒業するのに5年かかりました。
大学生活はかなりサボったので楽は楽でしたが、楽しかった記憶は全く無く、つまらなかったです。
それでも研究室の同僚5人はその後お互いの結婚式に出席するまでの仲にはなれました。

無職になった今、そんな友人達とも連絡を取ることはありませんが。。
長くなって来たので続きは後日にします。
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「人生は死ぬまでの暇潰し」
誰が言った言葉か知らないですが、うまいこと言う。これは真実だなぁと最近つくづく思います。

ニート生活が始まってもうすぐ3ヶ月。一切の経済活動をしていません。
退職日が過ぎて職業「無職」になって1週間。
今は離職票と新しい保険証が届くのを待っている状態。
無職になる前に娘が内定取れて良かった。。
将来娘が結婚することになったら、父親が無職は何かと迷惑をかけるだろうから、離婚して母子家庭ということにしよう。

私の1日はだいたい以下の通り。
6:30頃
 妻の起床に合わせて起床。犬の相手をする。
8:00前
 妻が出勤で家を出ると同時に犬と二度寝する。
10:00頃
 二度目の起床。犬の散歩に行って帰宅後朝食。だいたいパン1枚とコーヒー。
その後スーパーへ食材を買いに行ったり。部屋の掃除機をかけたりする。そんなことにそれほど時間がかかるわけでもない。
余った時間は犬と遊ぶ、ネット徘徊、録り貯めたビデオを見る、昼寝をする等して過ごす。
ちなみに昼食は取らない。
さすがに無職は人並に食ってはいけないという自覚はある。
17:00頃
 家族の夕食を作り始める。
夕方の犬の散歩は娘が行く。
18:00頃
 妻が帰宅する。夕食を食う。その後後片付けする。
幸いプロ野球が始まったので、夜の時間も野球見て過ごせる。
妻子はリビングで他の番組見てる。
23:00頃
 妻の就寝に合わせてそれぞれ自室に戻るが、私は1時頃までネット動画見てる。
娘も遅くまで友人や彼氏とネットで喋っている。

だいたいこんな感じで1日が終わる。
時々量販店や映画を見に行くこともある。
日本人の価値観だと、こんな生活は万死に値するでしょう。

残念ながら私は暇をあまり苦にしない。
地獄のような仕事を1日こなすよりは、何もすることなく1年過ごす方が自分に合っている。そういうクズ人間も地球上に1人居るのです。
かと言ってこの生活が充実してるなんて言いませんが。
私の人生に充実という価値観はもう無い。

仕事好きな人は人生薔薇色でしょうけど、そうじゃない人にとって働く日々はひたすら苦痛に耐えて時間を経過させて給料日を待つ生活と言える。
時間を経過させることは、死ぬまでの時間を縮めるということ。
結局多くの人は早く寿命が来て死ぬことを望み、人生は虚しいだけであることを本能的に知ってるんじゃないのか。
と言うわけで、冒頭の言葉が言い得て妙だなと最近特に感じるのでありました。

プロ野球がようやく開幕してくれました。
無観客であっても、真剣に野球してる様子はオープン戦と違ってテレビでも見応えはあります。
阪神ファンの私にとって、新外国人ボーアの大ブレーキはあまりにも予想通りだった。。
まぁ、過去にもキンケイドとか歴史上最悪のグリーンウェルとかいたし。。
今年に限ってはシーズンが成立しさえすれば良しとしよう。
0勝120敗でもいいわ。
出来れば数ヶ月後にでも暇な平日にナイターを生観戦したいです。
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前回は暇に任せてアメフトに関する記事を長々と書いちゃいましたが。
正直あの騒動に関心はほとんど無い。(笑)
だいたい、あれで怒ってる一般人で、アメフトのルール知ってる人はどれだけいるのだろうか。
多分1割もいないだろう。しょうもない。
さすがにもう皆飽きてきて、報道も無くなるだろう。

さて、新年度も2ヶ月程が過ぎ、先日また上司と面談があった。
前回の面談では、私は娘の自立の目処が立つ2年後迄には辞めると、喧嘩腰に伝えていた。

今回知らされた事実。
私が今やってる仕事の一つが、来年度関連会社に移管されるらしい。
これは何を意味するのか?
「来年引き継ぎが終わったらさっさと退職しろよ!お前が自分から言い出したことなんだからな!」
という会社のメッセージである。

望むところである。
来年夏頃辞められるならそれも良し。

それを妻に話したら激怒された。
無職の人間とは一緒に住みたくないと、遠回しに言われた。。

現実的な解としては、やはり求人が比較的多い東京に住みながらしばらく仕事を探したい。
それで一定期間過ぎても仕事が無ければ妻も発狂するので出ていこうと思っています。。
その時母親が死んでたら実家に住めるが(笑)、生きてたら無理だ。
母も妻と同じ考えだから。

そうなったら、万策尽きた。その時が私の寿命かなと思う。

仕事の出来ない男にとって、人間の寿命は長すぎる。。
寿命が50歳だったらいいのに、、
そしたら40位で仕事辞めて、しばらく遊んで悔いなく死ねるのに。

一通りの人生経験もしたし、今後どうしてもやりたいこととかも、特に無い。
もう疲れてしまった。(;_;)
誰からも望まれない存在なら、早く人生を終わらせたい。(-_-#)
実際どうするかは置いといて、私の理論的な寿命は、来年の51歳ということになる。それはそれでいいんじゃないかと思う。
 

ブログネタ
退職 に参加中!
自分は仕事に就いて約20年だけど、落ちこぼれで常に挫折しながら今に至ります。
一方妻は子どもを産んでしばらく専業主婦をした後は、いろんなパートの仕事をしてました。

いろんな、ということはそれだけ辞めた回数も多いわけですが。
仕事が辛いというよりは、人間関係が嫌とか他にもっと楽そうな仕事が見つかった
などというのがこれまでの辞めるパターンでした。

たかが時給千円ほどのパートだから、こちらも辞めることに反対しなかったし、
実際辞めた後すぐに次の仕事を見つけてました。

で、今回引越しにともなって当然パートの仕事を辞め、
引っ越し2週間後にこれまたすぐにパートの仕事を見つけて始めてました。

その仕事は引越し前にしてた仕事と同じ会社の東京の支店でした。
ちょうど人不足で、経験者ということで即採用だったらしい。
しかし。。。。

さすが東京というか、忙しさは半端なく、仕事内容も前やってたことは全然通じない難しさ、
おまけに皆忙しいので誰もフォローしてくれなく、間違えれば責められ、、、
って感じだったそうで、最短契約期限の今月いっぱいで辞めることにしたそうです。

よっぽど仕事辛かったのか、辞めることを決める前数日間は鬱病のように
家でも何もできずに無表情になってました。
辞めることが決まった今でも、あと一ヶ月どうやってやりすごそうかとても憂鬱そう。

来月以降しばらくは仕事は探さないとか言ってるし。

仕事そのもので挫折したことは、妻にとっては初めてだったのだろう。
お気楽パートから、少しでもレベルアップした仕事は自分にはできない
と今さら思い知ってショックを受けたかも。

でもこっちは20年ずっとそんな状態なのだ。しかも辞める目処もつかない。
こっちの気持ちを少しはわかってくれただろうか?。。。

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