人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。ニート生活を経て2021年4月より底辺職をしながら細々と生きる初老クソ親父の無駄口です...

タグ:東日本大震災

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昨日は東日本大震災から10周年の日でした。
あの時私は東京への転勤を控え、社宅を見に飛行機で関西から東京に行く前日でした。
翌日飛行機は飛ばず、3日後ぐらいに行った記憶があります。

あの時はYouTubeで津波の映像を見ては唖然としてたなぁ。。

あの時転勤した会社はその翌年に辞めて親会社に行き、その会社も去年早期退職して今ニート。
10年で落ちるところまで落ちました。

阪神の開幕投手は藤浪だそうです。
このチームは開幕後だいたいゴールデンウィーク頃から迷走を始めるのだが、今年は開幕前から迷走してますわ。
迷走しようが無事開幕してくれれば良いですけどね。
センバツ高校野球は1週間後が開幕ですが、なんとか開催して欲しいものです。
甲子園の高校野球は2年前の夏以来ですから。
(去年の交流試合は勘定に入れたくない。)

関西在住の友人(私がニートになっても連絡をくれる唯一の友人)が「今年はセンバツ見に行かないの?」とLINEを寄越して来ました。
今は訓練学校行っててかくかくじかじか、、
と返事して今年は見合わせて、いつかプロ野球行こうと言うことに。

さて、その問題の訓練学校からの就活ですが、、
未だ継続中です。

先週だったか、学校で合同面接会というのがありました。
12社ほどが参加して、私はそのうち実に6社と面接しました。
その6社の選定も若干後悔があるけども、まぁそれは終わったことだから今さら仕方が無い。
その6社のうち、今週2次面接の誘いが来たのは4社。
1つも来ないと思ってたのでひとまずホッとしました。

今週そのうちの3社と2次面接を受けました。
そのうちの2社(自分の中では第一希望と第二希望)は結果待ちですが、面接官の反応を見る限り、落ちたと思う。
この年になってくるとそういう雰囲気はなんとなく察しがつく。
残りの1社は、一応内定が出ました。
たぶんここに行くのかなぁと思いながらも、返事は保留にしています。

所詮は低時給のパートタイムの仕事です。賞与も昇給も無い。
シフト制で早番時は異常に早く、遅番の時は異常に遅い。
職場は家から結構遠く通勤に時間がかかる。
など不満な点は多々あるが、しょうが無い。その程度のレベルの人間なんだから。
1つでも内定取れただけで上出来と思うべきなんだろう。

冷静になって考えると、所詮は前職の4分の1ぐらいの大学生のバイト代程度の給料の仕事なのに、面接にスーツ着て行って結果に一喜一憂するなんてアホやなぁと思うし、友人に仕事見つかったなんて自分からは言えない。働いてると言える収入じゃねえし、、
でも、これが私の生きる道。
妻はやっぱり不満みたい。
ニートよりはマシだけど、こんな給料じゃあ、、て感じです。

来週中には勤務先も決まる可能性が。取り敢えず4月以降も3ヶ月以上は東京にいることになりそう。試用期間が3ヶ月だから。

そんなことよりセンバツ高校野球を楽しみに待ちたいです。
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地震。。。 に参加中!
地震から1年が立ちました。
フェイスブック見てたら、こんなメールの紹介にたどり着き、
あまりの切なさに画像を貼り付けます。

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先に死んだ妹の横で、
死を前にして遠方にいる父親に送った最期のメール。
ある新聞社が挿絵風にして掲載したようです。

「本当にありが」で終わっているのは力尽きる前に送信したか保存したのでしょう。

娘とよくディズニーランドに行く父親の身としては
辛すぎるメールでした。

合掌。

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地震。。。 に参加中!
3連休というのに、遠出することもなく
家でごろごろしながらネットとテレビで過ごしてます。

ネット徘徊してたら、被災地の中学校の卒業式の答辞が
目に止まりました。
「15歳の答辞」で検索すると出てきます。
その内容があまりにもかっこよくて感心しました。
全文をコピーしときます。


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今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか
私たちのために卒業を挙行して頂き有難うございます。

ちょうど十日前の三月十二日。
春を思わせる暖かな日でした。
私たちは
そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ
通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。

前日の十一日
一足早く渡された。
思い出の詰まったアルバムを開き
十数時間後の卒業式に思い出をはせた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず…
階上(はしかみ)中学といえば「防災教育」といわれ
内外から高く評価され
十分な訓練もしていた私たちでした。

しかし
自然の猛威の前には
人間の力はあまりにも無力で
私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには
むご過ぎるものでした。
辛くて
悔しくてたまりません。

時計の針は十四時四十六分を指したままです。
でも時は確実に流れています。

生かされた者として顔を上げ
常に思いやりの心を持ち
強く正しく
たくましく生きて行かなければなりません。
命の重さを知るには
大き過ぎる代償でした。

しかし
苦境にあっても
「天を恨まず」
運命に耐え
助け合って生きていくことが
これからの私たちの使命です。

私たちは今
それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても
何をしていようとも
この地で仲間と共有した時を忘れず
宝物として生きていきます。

後輩の皆さん
階上(はしかみ)中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が
如何に貴重なものかを考え
いとおしんで過ごしてください。

先生方
親身のご指導
有難うございました。
先生方が
如何に私たちを思って下さっていたか
今になって良く分かります。

地域の皆さん
これまで様々なご支援を頂き有難うございました。
これからも宜しくお願いいたします。

お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず
良き社会人になります。

私は
この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に
本当に
本当に
有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太。

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地震。。。 に参加中!
会社のプレゼン資料で名前の横に
「がんばれ東北、がんばれ日本」
というロゴをつけてる人がいた。

自分はそんなことする勇気はないが、
ネットで探したらそれっぽいロゴが沢山ありました。

その中で個人的に気に入ったものを2つほどここに貼り付けます。

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学校なう に参加中!
東京に越して来てほぼ一週間が経過。
毎日のように余震が起きています。
特に昨夜は大きかった。。。

今回の東北地震の余震は揺れがとても長い。
昨夜のは始めゆっくり揺れだして、だんだんと揺れが強くなり、
不安が絶頂になった頃に少しずつ揺れが小さくなるものの揺れは続き、結局2分ぐらい揺れてたんじゃなかろうかと思うほどだった。
その間生きた心地がしない。

西東京の震度3程度でこれだから
宮城周辺の人は本当に大変だろうと思う。

昨日は娘の中学入学式があった。
前住んでたところは転勤族がとても多くて転校生もしょっちゅう来るような学校だったけど、今度は様子が違う。
転勤組はクラスで娘一人だけだったようだ。

おまけに最初は男女混合で名簿順で座席決まってるらしく
周りは男子ばかりだったそうな。
初日は誰とも会話することなく、寂しさで半泣き状態で帰って来ました。

さらにどんなかばんを持って行けばいいのかわからず、リュックを持って行ったところ、そんな子は娘一人であとの子は皆スクールカラーのかばんを持ってたとのこと。
慌てて新宿界隈まで探しに行くも適当なのが見当たらず。

そんなこと学校の先生は前もって何も教えてくれない。

前途多難な日々です。

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