人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。ニート生活を経て2021年4月より底辺職をしながら細々と生きる初老クソ親父の無駄口です...

タグ:乳癌

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いやー、寒いですね。
寒くて可哀想なので、犬の散歩するのは辞めときました。
使い捨てカイロを買い足しとく必要がありそう。。

昨年末、とある資格試験を受けて、先日不合格通知が来ました。これで2年連続。。

今やってるしょぼい仕事の上司にあたるフロントという立場になるのに必要な資格。
別にフロントになりたいとは全く思ってないのだけど、仕事大変そうだし。
ただ、彼等が持ってる資格は自分にも取れるレベルなのか試したくなって受けてみました。
合格率は2割程度と難関だが、申込みだけして受けない人も多いだろうし、所詮マークシート式なのである程度勉強したら勘で答えられるのもあるかも。
実際過去に受けたマークシート式の資格試験は落ちたことは無かったし。
等という舐めきった態度で受けたのですが、結果は2年連続不合格。

最初に受けた2021年は明らかに勉強不足だった。それは認める。
次の2022年はそれなりに勉強したつもりだったが、たぶん全然足りなかったのだろう。しかし資格試験ごときにそれ以上勉強に時間を割くのは、生きてる意味が無い。
要は私の頭が悪すぎたということ。。
今更ながら再認識させられた。

もう10年若かったらどうだったろう。。
とか考えても無駄なことである。
思うに、3年前に前の仕事を早期退職した時から、私の人間としてのあらゆる機能は破壊的に減退してるんじゃないかという気がする。
ここには書けないが、体の別の部位の機能も失われてしまったし。
今回の試験に関してはきっと参考書選びから勉強法までありとあらゆることが間違っていたのだろう。
一番の間違いはこんな奴が資格取ろうと思ったことだ。
もう私の脳はそんなことに対応する機能は無い。
自分の頭の悪さに呆れて、見捨てたい。。

というわけで、もう一生試験など受けないと決めた。
今の会社に入社した直後から、部長にフロントになることを打診されていた。それは前の会社が大企業だったからだろうけど。
今後はそれをはっきりと断れる。
私は無能なので、今の業務をあと数年細々と続けた後完全リタイアして引き籠もるつもりです。
こんな風にでも答えようか。

村西監督の全裸監督という本(NETFLIXでドラマ化された)の帯に、
「人生、死んでしまいたい時には下を見ろ!俺がいる!」
と書かれてあった。
そこには私もいるわ。
そういう奴だという自覚を持って残りを生きる。

妻が乳癌になって10年。
定期的に検査してる病院で、今回も再発の兆しは無いと診断され、銀座あたりでこんなケーキを買って来てました。

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1年前の今頃はラグビーのワールドカップが佳境に入ってた頃でした。
まさか1年後には世界中がこんな真っ暗闇の地獄になるとは誰も思わなかったことでしょう。
去年より良い目を見れてるのは吾峠呼世晴ぐらいでしょうか。
しかしなんちゅう名前や。。この人まだ30歳位らしい。

さて、ダラダラと書いている転落人生の振り返り。

40歳位で自分は人類の最底辺だという真実に気付く。
それでもまだ子供が小さかったので嫌々ながら働きながら生きていました。
そのうち東京に転勤になり(もちろん家族で転居)、周りのレベルはさらに上がりどうにもならなくなりつつあります。
東京生活1年半過ぎた頃、転機が訪れる。

当時私は関連子会社に転籍させられていたが、その会社が業績悪化で経営破綻寸前になり、早期退職の募集を始めた。
その前にも2回募集はあったが、年齢で対象に入ったのがこの44歳の時初めてでした。
割増退職金も結構な額だった。
渡りに船、と私は応募しました。
反対する家族の声はもう耳に入らなかった。。
この機会に辞められないのなら、死んでしまおうとまで仕事で追い詰められていたから。
ちなみにその頃、妻の母親は末期の肺癌でいつ逝くかわからない状態。
にも関わらず、私はもう自分が逃げることしか考えられなかった。

しかし、早期退職は叶わなかった。
応募者があまりにも多すぎ、退職金が払えなくなった会社は、40代の応募者に限り親会社に転籍という形で無理矢理引き取らせたのだった。
それを拒否して何が何でも辞めるという選択肢もあったが、泣いて懇願する家族を振り切る気力は私には無かった。
ちなみにその子会社は今も潰れずに存続しています。

行き先は親会社の西日本、中国地方の地方都市。
もちろん単身赴任を選んだ。
どうせ挫折してすぐ辞めて帰るに決まっている。いや、帰れたらまだ良い。たぶん自殺するだろう。
そう思いながら赴任しました。
単身赴任をするということは、将来家庭が崩壊することを容認したということ。たぶん妻もそれをわかっていたはず。
ちなみにその直前に義母は永眠。

赴任後は100%予想した通りだった。
やったことのない設計職に入れられ、もちろん挫折する。
3ヶ月ぐらいで鬱状態になり会社を休みがちになり、5ヶ月後ぐらいには首を吊りました。
ちなみにその直前、妻は乳癌になり、片乳を全摘しました。

詳細は省きますが、自殺は失敗に終わり、7ヶ月程鬱病で休職した後、職場復帰する。
前職の設計とは同じフロアながら仕事は企画職に変えてもらえた。
企画職と言いながら、実態は取りまとめの便利屋、パシりのような仕事です。
本来メンタル不調で休職した人は以前と同じ職場に復帰することになっている。
そうしないと皆仮病で休職するからである。
自殺されて新聞沙汰になったらたまらん、という理由で私の場合は例外的に業務内容を変えてもらえたのかも、と推測します。

そういうある意味閑職のような仕事をその後退職するまで7年半続けることになります。

クソみたいに内容がからっぽの回想ですが、疲れてきたので続きはまた後日。
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ブログネタ
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GWに突入しました。
転勤して一ヶ月、ようやくちょっと落ち着けます。
最初は遠慮してくれてた職場の人達も、徐々に恐ろしくなり
休み明けが怖くてしょうがないです。

さて、先週末は義弟が東京で結婚式を挙げ、
新婦が家族に感動的なスピーチを読み上げていました。
その2日後は田中好子さんが生前に残したメッセージをテレビで聞き、
感動に打ちひしがれてしまいました。

自分が死ぬという時に、他人のことを思いやれるってかっこいいなー。
自分もそんな死に方をしたい。

どちらのスピーチにも感動はしたものの、泣くまでは至らなかった。
それだけ自分がドライになってしまったのかな。

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