10月になりました。
娘のリモート内定式も行われたようです。
提出書類に父親の職業を書く欄があり、
「無職」と書くのが恥ずかしいと泣いていました。
「母子家庭ということにしとけ。出て行ってやるから。」
と言っときました。。

高校野球秋季大会は一応順調に進んでるようですね。
履正社が大阪3位以内に入れなくて選抜が絶たれたようで。
大阪桐蔭は相変わらず健在。

さて、自分の失敗人生を振り返る続きを書いてみます。
一体何のためにこんなもんを書いてるのか、自分でも理解不能だけど。。

つまらない大学生活を5年間過ごした私。
下宿代に1年余分な授業料。親は金をドブに捨てたことになる。
4年の時の就活。まだバブルが弾ける前だったので、大手企業に頼まれて入社するという、有り得ない時代でした。
私が所属してた学部学科から、大抵の有名製造メーカーに5人まで内定できると言う今では信じられないルールがあった。
SONY、NECは5人がすぐ埋ったが、それ以外の企業は定員割れだった記憶がある。あのPanasonicでさえも、、
つまりあの時私でもPanasonicを希望したら内定取れたんだろうと思うが、大阪本社の会社は仕事キツそうという意味不明な理由で、私は別の総合電機メーカーを選びました。
私みたいな無能なクズが有名企業を選べるという、今後二度と来ないと断言できる異常な世の中でした。

就職後、上記のように限りなく裏口入社に近い私。当然落ちこぼれます。
今年退職する迄の約28年間。泥水の中を這い回るような地獄の会社生活でした。
身の丈に合わない就職をすると当然そうなります。
多分私を筆頭に私の年代は、人類史上生産性は最悪だと思います。
世の中のゴミというか、他の世代に迷惑かけるから早く死ななければならないバブル世代です。

在職中はずっと、この就職は失敗だった。身の丈に合った中小企業に行くべきだった。と後悔しながら、常に自殺願望がありました。
理系に進んだ理由は単に英語が嫌いだったからですが、技術系の頭脳労働はとても私の手に負える物では無かった。
文系に進んで経理でもやった方が楽だったんじゃないか、、等と今さら思ったところで後の祭りです。。

でも、今になったから思えることですが、あの会社に入ったのは結果オーライだったかなぁと思う。
曲がりなりにも結婚して家庭を持ったし(結婚することが良いことか?今最悪な状況やないか!という問題はさておいて、結婚生活という経験が出来たという点では良かったと思えます。)、決して多くは無いが生活するだけの収入は得れたし、早期退職割増金が出たし、今後ずっと無職でも多分還暦位までは今のペースで生活が出来そうだし。
それもこれも大企業にしがみついてきたおかげだろうと思う。

子供が生まれて、3〜10歳位の頃が私の人生三度目にして最後の充実期だったと思う。
この期間、家族旅行を沢山した。関西在住ながらディズニーリゾートには年数回行き、ハワイ、香港にも行った。
その間も仕事は常に地獄でしたが。

私のいた会社では、総合職は普通33歳位で係長になり、40歳位で課長級になる。
私は係長級の昇進試験に二度落ち、その後試験制が廃止され上司の認定制になったがずっと放置された。
その後係長という職位が廃止され、係長が全員課長級になったが、私は当然ヒラのまま。
結局私が課長級に認定されたのは40過ぎてから。人より8年程遅れてのことでした。

上を見たらきりがない、とよく言われるが、下を見たら世の中には自分より下の人間もまだ少しはいるんだろうと若い時は思ってました。
でも、40歳を過ぎた頃にはっきり自覚しました。
自分より下はいない。世界中のどこを探しても自分より低レベルの人間は絶対いない。と言う事を。
それ以来ずっとそれを自覚して生きています。

来年就職する娘にアドバイスできることは何もないけども、もし強いて言うとしたら、
「自分より下は居ないことを常に肝に銘じておけ」

続きはまた別途。
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