夏休みも終わり、汗だくで底辺労働をする日々が続きます。

先日の帰省は毎日のように出歩いてたので疲れて、この週末がやっと体を休められるかなという感じ。

今回もマニアック高校野球ネタになってしまいます。

断片的にテレビやネットのダイジェスト動画を見てますが、今大会は履正社に勝った層の厚い仙台育英、都会を制したいけ好かない慶応、今のところ全て楽勝の神村学園あたりがリードしてる感じでしょうか。

それにしても今高校野球の入場料ってジンバブエドル並みに高騰してるな。
コロナ前は一番高い内野中央でも2000円だったのに。外野なんか無料だったのに。
それでも満員になってるところを見ると、日本人はやっぱ皆金持ってるんやなぁと思う。
私は所詮高校生のクラブ活動の観戦にそんな大金は使えない。たぶん今後一生現地観戦はしないだろうなぁ。

今大会の私的な特筆事項はやっぱおかやま山陽の日大系列三連撃破です。
これもユニフォーム展を開催した恩恵でしょう。
ちょうど監督がネットで半生を綴った連載記事みたいなのが出てて、それも面白かった。
ジンバブエ野球の監督してたらしい。
ここでもジンバブエ繋がりが。

それにしても、大垣日大の阪口監督って、歩くのもやっとな感じでヨボヨボだったな。。
本人に自覚無くきっと周囲も忖度して言えないんだろうけど、あんなのが監督だったら選手も嫌だろうに。。
50年近く前のバンビ坂本の時に既に監督だったし、もう80近い。
人間引き際が肝心だ。

今のところ一番印象に残ったのは専大松戸が土浦日大に6-10で負けた試合。
専大松戸には平野君というプロ注目の絶対的エースがいる。選抜でも活躍した。
しかし平野は指が痺れる(血行障害か、)という症状で今回投げられず。
それでも他の投手が頑張って千葉を勝ち抜き、甲子園初戦も東海大甲府に勝った。
土浦日大も本来なら勝てる相手だったろうけど、一時6-0でリードしたけど、急増投手陣がもはや限界で崩壊して逆転負け。
キャッチボールのようなスローボールを駆使したりしてたが、一度捕まると止められなかったようだ。

おまけにこの日は台風後の東海道新幹線のお粗末な対応のせいで専大松戸応援団のほとんどが球場までたどり着けないという悲劇でした。

平野投手が終盤に投球練習してた(たぶん心理作戦で)のがもの悲しかった。

こういう風景、高校野球では過去何度か見ています。
有名なのは沖縄水産の大野投手がボロボロになりながら決勝で滅多打ちくらった時。
大阪桐蔭初優勝の時でもう30年以上前か、、最近だと思ってた。

さらに昔の私が小学生の頃。
大分商業に松本という好投手がいた。
二年生エースで三年に元巨人で活躍した岡崎等がいて、ベスト8まで行った。
翌年また甲子園に出て来たが松本投手は投げられる状態ではなく、本当にキャッチボールのような投球。
マジかと思ったが1回戦勝ってしまう。
2回戦の浜松商業戦も途中まで勝ってたが、終盤捕まり敗れた。
当時の高校野球は投手を複数用意するという発想はなかったのだろう。
勝った浜松商業はベスト8まで行ったが、今度はそのエースが投げられなくなり、代役の投手陣がたぶん高校では初めて投げるような野手ばかりで20点取られて敗退。
その20点取った瀬田工業は次の試合は1年の荒木大輔に軽く捻られて完封負けでした。
そんな年でした。

その数年後、水野がいた池田が圧倒的に選抜で優勝した時、唯一苦戦したのが明徳義塾戦でたぶん2-1だったかと。その明徳のエースが2年生の山本投手だった。
明徳は翌年夏も出たが、やはり肩壊して投げられず、控え投手で頑張ったものの、3回戦で格下の新潟の高校に負けた。その試合を現地で見てました。
やはり平野と同様、山本も投球練習してて悲しかった覚えがあります。

こんな感じで2年生で大活躍したエースが3年では壊れて投げられない、しかし他の投手陣が必死に頑張るが最後は力尽きるというケースはよく見る風景でした。
6年位前の滋賀学園もそうだったかな。

エース級を複数揃えられるのは仙台育英のような一部の野球専門学校に限られるのだろう。
今年の専大松戸を見てそういうのを思い出しました。
平野投手、大学進学するそうだが野球続けられるんだろうか。。

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