先日の3連休、東京に帰ってました。
帰省中も不眠と頭痛は治らない。。
そりゃそうだ。連休はすぐ終わってまた仕事があるのだから。。
連休初日に、妻と御巣鷹山に登って来ました。
何故そんなところに行ったのかと言うと、
当時妻の在学する高校の先生が3人犠牲になっているから、いつか行きたいと思ってたそうである。
翌年の修学旅行の下見に行って、その帰りにこの便に乗ってしまったとか。。
また付き添いのJTBの人も当然ながら一緒に犠牲に、、
何故今頃になって行ったかというと、若干不謹慎かもですが、9月に屋久島登山を予定しており、その前に登山をしときたかったという妻の意向です。
日帰りで疲れました。
家から高崎駅まで約2.5時間。そこからレンタカーで約2時間かかりました。片道5時間弱です。
特に最後の15km位は元々人が居なくて道も無かったところに、このために作られた道ということで、狭くて暗くて不気味でした。
到着した時にはホッとした。
以下に出す写真は私が撮ったものではなく、他人のブログその他から拝借してきた物です。
私も写真とほぼ同じものを見ています。
自分でも撮ろうかと思ったのだけど、妻に不謹慎だ!とキツく止められたので、、
登山道入口です。このストックを借りて杖代わりにして登っていきます。
と言っても道はそこそこ整備されていて、それほど険しくは無い。
JALの人達が毎年整備してるらしい。
3年程前に、道を整備してたJAL社員が転落死したらしい。
墜落事故以上の悲惨な犠牲者だと思う。
墜落地点周辺まで約800m登り、結構息が切れる。
この風景は実際は見そびれたんだけど、中央の窪んだところに機首が激突し、バウンドして反転しながら約500メートル飛んで機体が激突、大破したそうである。。
4人も生存してたのが奇跡に思える。
当たり前だが当時は山肌が剥き出しだったが、34年も経てばすっかり緑に。
墜落地点の中心あたりにこのような石碑が建てられている。
この周辺に各犠牲者が見つかったと思われる場所にそれぞれの墓標があり、我々は先生3人の墓標を必死に捜しました。
ここに520名が記載されている。
日本人の50音順次に外国人。最後の2行位はJALの職員。
先生3人とJTBの人の名前もそこにあった。
高濱機長と副操縦士2名の石碑。
事故原因は修理不良と言われているので、操縦ミスでは無い。
墜落が避けられない絶望の中、せめて人がいないところを目指した彼等は英雄だと思う。
坂本九(本名大島)氏の墓標。
享年9歳の美谷島少年の墓標。
彼は野球少年で、甲子園にPL学園を見るために初めての一人旅だったそうである。
PLの野球部、応援団からお悔やみメッセージが届き、当時大きく取り上げられた。
母親は遺族会の会長をしている。
生きていればもう40を過ぎているが、9歳で止まってるので、未だにドラえもん等が供えられていて哀しい。
このようなメッセージがいろんなところに刻まれている。
あの日はお盆だったので、その頃に乗っていたビジネスマンはエリートが多かったのだろうか。
「パパ愛してる」「パパありがとう、安らかに」みたいな文字がよく刻まれていた。
一家4人。30代夫婦と3歳、5歳の墓標が並んでたりするのはほんと同情する。
こんな感じでそれぞれの犠牲者の墓標があり、先生のをずっと捜しまわりました。
なかなか見つけられず、諦めて帰ろうとしたところでやっと見つけました。
この風車の飾り(その向こうに例の窪みが見えます)を背にしたところに3人並んでありました。
見つけて涙する妻。
これぐらい写真撮って同級生に送ったら?と言ったんだけど、頑なに拒まれました。。
ちなみに先生は当時30代の男が二人、50代の女性が一人。
女の先生は生きてたら私の母と同じ位である。
花を供え、線香をあげて帰りました。
実は後で知ったのだけど、近くの小屋に墓標の世話をしてるご老人がいて、
その人に聞けば誰の墓標がどこにあるのかはすぐ教えてくれたらしい。。
長年世話してるので、500人位の名前と場所は覚えてるんだとか。
もうあれから34年。
世の中の半分位の人は事故当時生まれてもないだろう。
遺族も高齢化して、こんな奥地の山にはもう登れない人がほとんどだろう。
もういい加減慰霊祭みたいなのは辞めた方が良いんじゃないかと思う。
JALもいつまでもここの世話する必要も感じない。
一度破綻して国に救済されているJALなので、ここに使われている費用も結局国の金だろうし。
本当に悪いのはJALじゃなくてボーイングの不良修理工なんだろうし。
(沈まぬ太陽を読んだ限りではそうだったような。執筆者の山崎豊子も鬼籍に入っている。)
他にも世には出ないいろんな陰謀説もあるらしいが。
JALの新入社員を毎年ここに参らせる必要も無い。登山道の整備する筋合いも無い。時間の無駄だ。
とにかくもう時間が経ちすぎた。
交通事故で死ぬ人はすぐ忘れられるんだから、飛行機事故の犠牲者をいつまでもヒーロー扱いにするのはどうかと思う。
遺族でもない無責任な私だからそう思うのだけど。。
遠い山奥だしもう一生行くことは無いと、妻も言ってた。
帰省中も不眠と頭痛は治らない。。
そりゃそうだ。連休はすぐ終わってまた仕事があるのだから。。
連休初日に、妻と御巣鷹山に登って来ました。
何故そんなところに行ったのかと言うと、
当時妻の在学する高校の先生が3人犠牲になっているから、いつか行きたいと思ってたそうである。
翌年の修学旅行の下見に行って、その帰りにこの便に乗ってしまったとか。。
また付き添いのJTBの人も当然ながら一緒に犠牲に、、
何故今頃になって行ったかというと、若干不謹慎かもですが、9月に屋久島登山を予定しており、その前に登山をしときたかったという妻の意向です。
日帰りで疲れました。
家から高崎駅まで約2.5時間。そこからレンタカーで約2時間かかりました。片道5時間弱です。
特に最後の15km位は元々人が居なくて道も無かったところに、このために作られた道ということで、狭くて暗くて不気味でした。
到着した時にはホッとした。
以下に出す写真は私が撮ったものではなく、他人のブログその他から拝借してきた物です。
私も写真とほぼ同じものを見ています。
自分でも撮ろうかと思ったのだけど、妻に不謹慎だ!とキツく止められたので、、
登山道入口です。このストックを借りて杖代わりにして登っていきます。
と言っても道はそこそこ整備されていて、それほど険しくは無い。
JALの人達が毎年整備してるらしい。
3年程前に、道を整備してたJAL社員が転落死したらしい。
墜落事故以上の悲惨な犠牲者だと思う。
墜落地点周辺まで約800m登り、結構息が切れる。
この風景は実際は見そびれたんだけど、中央の窪んだところに機首が激突し、バウンドして反転しながら約500メートル飛んで機体が激突、大破したそうである。。
4人も生存してたのが奇跡に思える。
当たり前だが当時は山肌が剥き出しだったが、34年も経てばすっかり緑に。
墜落地点の中心あたりにこのような石碑が建てられている。
この周辺に各犠牲者が見つかったと思われる場所にそれぞれの墓標があり、我々は先生3人の墓標を必死に捜しました。
ここに520名が記載されている。
日本人の50音順次に外国人。最後の2行位はJALの職員。
先生3人とJTBの人の名前もそこにあった。
高濱機長と副操縦士2名の石碑。
事故原因は修理不良と言われているので、操縦ミスでは無い。
墜落が避けられない絶望の中、せめて人がいないところを目指した彼等は英雄だと思う。
坂本九(本名大島)氏の墓標。
享年9歳の美谷島少年の墓標。
彼は野球少年で、甲子園にPL学園を見るために初めての一人旅だったそうである。
PLの野球部、応援団からお悔やみメッセージが届き、当時大きく取り上げられた。
母親は遺族会の会長をしている。
生きていればもう40を過ぎているが、9歳で止まってるので、未だにドラえもん等が供えられていて哀しい。
このようなメッセージがいろんなところに刻まれている。
あの日はお盆だったので、その頃に乗っていたビジネスマンはエリートが多かったのだろうか。
「パパ愛してる」「パパありがとう、安らかに」みたいな文字がよく刻まれていた。
一家4人。30代夫婦と3歳、5歳の墓標が並んでたりするのはほんと同情する。
こんな感じでそれぞれの犠牲者の墓標があり、先生のをずっと捜しまわりました。
なかなか見つけられず、諦めて帰ろうとしたところでやっと見つけました。
この風車の飾り(その向こうに例の窪みが見えます)を背にしたところに3人並んでありました。
見つけて涙する妻。
これぐらい写真撮って同級生に送ったら?と言ったんだけど、頑なに拒まれました。。
ちなみに先生は当時30代の男が二人、50代の女性が一人。
女の先生は生きてたら私の母と同じ位である。
花を供え、線香をあげて帰りました。
実は後で知ったのだけど、近くの小屋に墓標の世話をしてるご老人がいて、
その人に聞けば誰の墓標がどこにあるのかはすぐ教えてくれたらしい。。
長年世話してるので、500人位の名前と場所は覚えてるんだとか。
もうあれから34年。
世の中の半分位の人は事故当時生まれてもないだろう。
遺族も高齢化して、こんな奥地の山にはもう登れない人がほとんどだろう。
もういい加減慰霊祭みたいなのは辞めた方が良いんじゃないかと思う。
JALもいつまでもここの世話する必要も感じない。
一度破綻して国に救済されているJALなので、ここに使われている費用も結局国の金だろうし。
本当に悪いのはJALじゃなくてボーイングの不良修理工なんだろうし。
(沈まぬ太陽を読んだ限りではそうだったような。執筆者の山崎豊子も鬼籍に入っている。)
他にも世には出ないいろんな陰謀説もあるらしいが。
JALの新入社員を毎年ここに参らせる必要も無い。登山道の整備する筋合いも無い。時間の無駄だ。
とにかくもう時間が経ちすぎた。
交通事故で死ぬ人はすぐ忘れられるんだから、飛行機事故の犠牲者をいつまでもヒーロー扱いにするのはどうかと思う。
遺族でもない無責任な私だからそう思うのだけど。。
遠い山奥だしもう一生行くことは無いと、妻も言ってた。
コメント
コメント一覧 (12)
御巣鷹山に行かれたのですね。奥様も、心の区切りになられて良かったです。めったに行けない場所ですから…
あの時は、娘が生まれて実家から自宅に帰った直後で、鮮明に覚えています。大阪行きだったので、「さんまさんが乗っている」という噂も流れました。
私が東京に住んでいた小学生の頃、坂本九さんのご自宅がすぐ近所で、お見かけしたこともあるのでショックでしたし、生存者の中の、搭乗客として乗っていたJALのCAの女性は私と同い年でした。
その後、吉岡忍著「墜落の夏」で彼女のインタビューを読みました。
あの年は、ロス疑惑三浦逮捕や、タイガース優勝や、色々なことがありました。昭和60年。忘れられません。
こんばんは。
生前をよく知ってる人が犠牲者になるのはショックでしょうね。。
現地に行ってみて、あの当時は木に死体がぶら下がってたんだとか、足元の土の中にはまだ見つけられない骨が埋まってるんだろうなとか、想像すると神妙になりました。。
確かさんまや、ジャニー喜多川もあの便に乗るはずだったとか言われてますね。
阪神の社長も犠牲者でしたね。
当時私は落ちこぼれの高校生。色々思い出します。
(落下傘部隊)の大型ヘリが爆音たてて往復してました。またフォーカス、フライデーといった写真雑誌が事故現場を掲載し、部数をのばしました。
だれでも事故から当時のできごとを思い出せる年度になってしまいました。
地震や津波は天災ですが、これは戦後最大の人災ですからね。
関係ないですが、私はニコ動で「メーデー」を見るのが好きです。
こんばんは。
当時私は関西在住の高校生で受験を気にする頃、飛行機に乗ったこともなかったのでどこか他人事のように見てました。
写真週刊誌のエグい死体写真が一杯出てましたね。。
メーデーめっちゃ見たいです。動画チェックしよう。(^_^;)
メーデー民になれば航空機事故のネットオタクになれます。
変なタイトル見ただけでフライト名や機種、原因を言い当てることができるようになります。ピトー管とかレバノン料理、マイクロバーストなど口走るようになります。
でもJL123の動画だけはシャレにならず正視できないです。
ニコ動でメーデー御巣鷹の回を見ました。(^_^;)
カナダ制作なんですね。良くできた番組でした。
123便の乗客は30分以上も地獄の恐怖を味わったのですね。(;_;)
後部の乗客は墜落後も即死じゃなかったとか、、
妻の先生も後ろの方だったらしいから、かなり苦しんで死んでいったのだろうなぁ、、と思うと泣けてきます。
奥様も、ホッとされた事でしょう。
屋久島は明るい気持ちで登れそうですね!
交通事故の犠牲者はすぐに忘れられるのに、こういった大きな事故の犠牲者の方々は、いつまでも弔ってもらえて、他の人達よりはラッキーだなと私も思います、身内の人達の補償金とか、、。
こんばんは✨
実は御巣鷹山を登るのにもかなり息が切れて、屋久島に多大な不安を残しました。。
犠牲者の方々、お盆の繁忙期に東京大阪の飛行機に乗るんだから、かなり裕福な層だと推測されますし、充分供養されて遺族もある程度満足してるんじゃないかな、と思います。
生きてる私が言う資格無いですが、、
御巣鷹山への慰霊登山お疲れさまでした。奥様は少しは気が軽くなられたことでしょう。あらためて全ての犠牲者の方にお悔やみ申し上げたいと思います。
こんばんは。
あの頃は、その後に来る大震災や大規模テロなど想像もしてませんでしたから、私の世代では若い頃に見た断トツの大事件として一生忘れられないです。
34年後とは言え、その現場に立ったのは大事な体験だと思えます。
あの方達、最後まで諦めてないんですよね。。。
最後の鳴り響く警報音がキツイですよね。。。
機長達だけでなく、もちろん乗客も乗務員の方達もいかほどの恐怖だったのか、と。
私は遊園地のジェットコースターもダメな人なんですが、30分もゆらゆらと不安定な飛行機に乗って、墜落するかもしれない(実際に墜落してしまった訳ですが)と怯え続けるのって、どれほどの拷問だ・・・と思いました。
チキンの極みの自分だったらどうなってだろうって。
気が狂ってたかもしれない、いや、いっそ気が狂った方が楽だったろうな、と。
登山自体は非常にきつそうですね。
お疲れ様でした。
こんばんは。
あの時機長は確か「ドーンと行こうや!」と言ったんですよね。それが自棄になったと誤解されて批判されたこともあったけど、若いクルー達を励ましてたんですよね。。
思うんだけど、機内に着席直後に睡眠薬いっぱい飲んで爆睡して、その後機体に穴が空いて低気圧により寝たまま気絶して、そのまま墜落即死したら完全安楽死ですね。。
そんなこと言ってる私は苦しみ抜いて死ぬことでしょう。。(;_;)