久坂部羊という医師兼作家が書いた表題の小説を読みました。

認知症患者と介護する側の息子夫婦の2つの視点からの描写で、認知症発症から死までのドキュメント風の話です。

斬新なのは認知症患者の視点で話が進むところ。
作者が医師だけあって、リアルにこういう感じなんだろうなぁと思えるものがあった。
ただ、所詮は推測であって本当の認知症の心の内は誰も判らないわけで、本当はもっと魑魅魍魎とした深い闇があるんだろうなぁと思う。

また、小説は医師の立場から厳然たる現実を突きつける。
認知症は決して治らないし、進行を止めることもできない。できるのはせいぜい進行の速度を遅らせる程度である、ということ。
そして、辛い介護と高い費用から逃れる唯一の方法は体を早く弱らせて死期を早めること。
強い鎮静剤をしばしば射ったりするのが効果があるとか、、

認知症になると、本人も家族も大変であるが誰が悪いわけでもない。
強いて言えば認知症になるまで生きてることが罪である。
そういうことを強く思った。

私の母はまだ元気であるが高齢で、最近耳が遠い。
もし介護が必要になったら、自分は母には大変世話になってきたので出来るだけのことはしたい。
しかし、そんな生易しいものではないことも容易に想像出来る。。

と同時に私は老人になる日も近い年齢である。
認知症になってしまうと、施設に入ろうが自宅介護になろうが子供の体力と金と時間を大幅に奪ってしまう。
そんな人生クソである。
自分の世話をさせるために子供を作るという愚かな生き物は人間だけだそうだ。

私は老後の世話を娘にさせるようなことだけは絶対にしたくない。
例え娘がすると言っても、、
猫のように自分の死期を悟り誰もいないところに去って行きたい。

老人になる近い将来迄に安楽死が合法化されて欲しいものだが、そうでなくてもできるだけひっそりと死ねる方法を模索しようと思っている。