東野圭吾の表題の小説を読みました。
東野といえば、理系の星です。(と勝手に思っている)

この人の二大優秀作品は「容疑者Xの献身」「白夜行」だと思う。

去年休職中に「赤い指」「麒麟の翼」を読んだ。
どちらも新参者シリーズでそこそこ面白かったが、
なにぶん休職中で絶望の淵に居たから、あまり楽しむ余裕もなかった。

表題作は、麒麟の翼に続く新参者シリーズ。
まぁ面白かった、よくこんな筋書考えられるなぁと感心した。
だけど、どこか既視感がある。

容疑者Xと白夜行に雰囲気が似ている。作品を多く書きすぎると
そうなってしまうのだろうか。
書評では「東野版砂の器」と書かれていたが、確かにそんな感じ。

簡単なあらすじ
不幸な境遇の父娘が借金苦で夜逃げして放浪する。
所持金も尽きて心中を決心したが、娘が悪い男に暴行されそうになり、
正当防衛で殺してしまう。
ここから数十年に渡る父娘の逃避行が始まる。
父は死んだ男になりすまし、自分は死んだことにする。
娘は孤児として施設に入り、やがて成長して女優、演出家になる。
父は二度正体がばれてしまうが、その度にやむなく罪も無い相手を殺してしまう。
全ては娘を守るため。
その後父娘の辛い別れ、最後は主人公の加賀刑事によって全て明るみに出る。
というような話です。

父娘があまりにも可哀相なのだが、罪も無い人を二人も殺してしまうところに
読者の批判が多いようである。
私はむしろこれが現実的で好感が持てる。
殺人事件なんてそういうものである。
自分を守るためには、殺す相手の事情など関係ない。
極めて善良な人がどんどん殺されるのが現実である。

私も一応罪のない人間だが、誰かの生きるために理不尽に殺される人生
というのも悪くないかもしれない。

そんなことを思いながら、あっという間に読みました。

上映中の映画のインターステラーというのも、父娘の感動作らしい。
機会があったら見てみたい。