この話のメインは殺人事件の謎解きではなく、
苦痛だらけの人生の終わりが見えた頃に、全てを捨てて好きな生き方をしたい
という人間の心の叫びです。
ゴーギャンという画家の言葉が引用されてました
「人は子供の犠牲になって生きている。子供もその子供の犠牲になる。
こんな馬鹿げたことが続いたら芸術も創造も有り得ない。」
というわけでゴーギャンは晩年家族を捨ててタヒチかどこかで好きな絵を描いて過ごしたそうな。
子供の犠牲になる人生を否定する考えは過激かもしれませんが、実際誰もが思っていることでしょう。
特に仕事を強制されてる男は。
子供はとても大切で生きがいだけど、もし自分に子供がいなかったら、今の仕事とっくに辞めてるだろう。
子供のために定年まで仕事頑張れるか?と聞かれたら、
自分の中ではYesが5%、Noが95%ぐらいです。本当にへたれです。
ドラマ版はもう一つのテーマも見せてます。
祝福されない男を好きになった女の悲哀
とでもいうのでしょうか。
深津絵里、役所広司の娘がそうだし、深津のいとこの木村多恵も8歳年下の男に引け目を感じ、殺人の計画を止められなかったということでした。
(昭和の時代はそういう価値観だったようで)
どちらのテーマも役所広司の語りによって悲しみを際立たせます。
役所は演じるのうまいですねぇ。
自分の娘の話をしながら、深津に「辛かったねぇ」と話すシーン。深津の涙。
ちなみに演出は「北の国から」の演出家がやったようでこのシーンがいかにも北の国からモードでした。
最後のシーン、役所は電車に乗って酒を飲みながらつぶやきます。
「ゴーギャンには絵があった。被害者には女があった。僕には何も無い。
家族に残せる金もない。死ぬまでつまらない人生をトボトボ生きていくしかない。」
自嘲の笑みが悲しいです。
題名の駅路とは、とぼとぼと歩いていく道を表現しているみたいです。
疲労している大人向けのいいドラマだと思いました。
苦痛だらけの人生の終わりが見えた頃に、全てを捨てて好きな生き方をしたい
という人間の心の叫びです。
ゴーギャンという画家の言葉が引用されてました
「人は子供の犠牲になって生きている。子供もその子供の犠牲になる。
こんな馬鹿げたことが続いたら芸術も創造も有り得ない。」
というわけでゴーギャンは晩年家族を捨ててタヒチかどこかで好きな絵を描いて過ごしたそうな。
子供の犠牲になる人生を否定する考えは過激かもしれませんが、実際誰もが思っていることでしょう。
特に仕事を強制されてる男は。
子供はとても大切で生きがいだけど、もし自分に子供がいなかったら、今の仕事とっくに辞めてるだろう。
子供のために定年まで仕事頑張れるか?と聞かれたら、
自分の中ではYesが5%、Noが95%ぐらいです。本当にへたれです。
ドラマ版はもう一つのテーマも見せてます。
祝福されない男を好きになった女の悲哀
とでもいうのでしょうか。
深津絵里、役所広司の娘がそうだし、深津のいとこの木村多恵も8歳年下の男に引け目を感じ、殺人の計画を止められなかったということでした。
(昭和の時代はそういう価値観だったようで)
どちらのテーマも役所広司の語りによって悲しみを際立たせます。
役所は演じるのうまいですねぇ。
自分の娘の話をしながら、深津に「辛かったねぇ」と話すシーン。深津の涙。
ちなみに演出は「北の国から」の演出家がやったようでこのシーンがいかにも北の国からモードでした。
最後のシーン、役所は電車に乗って酒を飲みながらつぶやきます。
「ゴーギャンには絵があった。被害者には女があった。僕には何も無い。
家族に残せる金もない。死ぬまでつまらない人生をトボトボ生きていくしかない。」
自嘲の笑みが悲しいです。
題名の駅路とは、とぼとぼと歩いていく道を表現しているみたいです。
疲労している大人向けのいいドラマだと思いました。
コメント