先週末、去る前の広島一人旅第二弾として、呉方面に行ってきました。
目的は海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)を見学すること。
別に私は軍事オタクとかでは無いけど、ここは無料で予約無しで90分見学ツアーがあるというので興味本位で行ってみました。
呉方面に行ったことが無いのもあって。
新幹線に乗る金がもったいないので、在来線で行ったら遠かった、、
同じ県内なのに片道2.5時間かかる。
帰りも在来線にしたので疲れ果てて帰宅しました。
呉駅から小型フェリーに乗って江田島という島に行きます。
そこからさらにバスに乗ってやっとたどり着く。
訓練に集中するためにこういうクソ田舎に海軍兵学校を作ったそうです。
温暖な気候なのも理由でしょう。
受付で名前住所電話番号、入館時間を書いて敷地に入る。
見学ツアー参加者は多く、大部分が老人だった。。
働いてない老人は平日に見学しろよー、と思った。
案内係は海上自衛隊OBのご老人でした。
大講堂です。皇室の人とかも来ることがあるらしい。
表門は平民門。、裏門は貴族門というらしい。さすがに今はそう言わないらしいが。
幹部候補生学校庁舎。
戦争映画やドラマで度々使われる建物です。
「この世界の片隅に」は呉が舞台でこの学校も出てくるんだとか。
どことなく東京駅に似ている。
山本五十六もここで学んだんだとか。
横長の建物ですが、戦艦と同じ長さにしてあるそうです。
何の戦艦かは忘れた。
教育参考館という海軍の戦争の歴史の展示館です。
この中の物は撮影禁止でした。
海軍の歴代の元帥やら大将やらの写真がズラズラと並んでました。
東郷平八郎とか、先の山本五十六とか。
軍服に勲章をジャラジャラと付けて。
何だかなぁ、、と思いました。
数々の海上戦の様子の絵画も多くありました。さすがにその写真は無かった。
特攻隊が出撃する前に書いた遺書も多く展示されてました。
皆二十歳前後の青年だと思うが、どれも毛筆で驚くほど字が綺麗であった。
字が綺麗な遺書だけ展示してるのかな。。生還してたら習字の先生になれるんじゃないかと思うほど。
特攻隊として死んで行った人は2.6万人程いるようで、その全員の所属と名前が刻印された石碑がありました。
JALの犠牲者の石碑を思い出した。
また、戦時中に喪失した船を示す世界地図がありました。
それこそ無数の戦艦が世界中で沈んでいる。。
控室に展示されていた戦艦ミニチュアモデルの数々。
もっと迫力ある物や映像を見れることを期待してたけど、ちょっと期待外れだったかなぁという印象でした。無料だから文句は言えませんが。
ちなみに海軍カレーという名物をよく聞きますが、
訓練等で潜水艦で出港すると、毎週金曜日の食事メニューがカレーだそうです。
これはそうしないと曜日の感覚がわからなくなるからだとか。
術科学校を後にして呉駅まで戻り、これも海上自衛隊の史料館である
「てつのくじら館」に行きました。
てつのくじらとはもちろん潜水艦です。
ここもありがたいことに無料です。
現役を引退した潜水艦が展示され、呉のランドマークのようになっています。
ちなみに隣にはやまとミュージアム(有料)がありますが、時間無くて行けませんでした。
潜水艦の中に入れました。以下はその写真です。
3段ベッドで狭そうです。
映画とかでよく出てくる作戦会議はこういうテーブルでしてるらしい。
艦長室。
いかにもという感じの機械や配線、計器の数々です。
こんな感じで海軍の街呉を満喫して帰って来ました。
つくづく思うこと。
もし戦争がこの世に無ければ、無数の戦艦も潜水艦も戦闘機も空母も作る必要無い。
特攻隊で死ぬ若者もいないし、遺書を書くことも無い。
軍服来た老人達の写真も無い。防衛費も不要でその分借金は減る。
そう考えると人間ってホント愚かだなぁ。。と思いたくもなる。
しかし、それはきっと間違いで、戦争や殺し合いをすることこそが人間の本性、存在意義なのだろう。
世の中から戦争が無くなることは有り得ないし、戦争によっていろんな技術や経済が発展してきた。戦争が無いと人間は維持できないのだろうと思う。
もしかしたら人口爆発を抑制するために定期的に大規模戦争が起こり、災害やウイルスのパンデミックが起こるように世の中は出来てるのかも知れない。
今日本経済は確実に終焉に向かっているが、もし再び経済成長を起こせるとしたら、それは世界大戦または超大災害、アウトブレイクが発生して全てを失い、何も無いところからスタートした場合かな。。
等と、大して意味の無いことをつらつら思いながら帰宅したのでした。
目的は海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)を見学すること。
別に私は軍事オタクとかでは無いけど、ここは無料で予約無しで90分見学ツアーがあるというので興味本位で行ってみました。
呉方面に行ったことが無いのもあって。
新幹線に乗る金がもったいないので、在来線で行ったら遠かった、、
同じ県内なのに片道2.5時間かかる。
帰りも在来線にしたので疲れ果てて帰宅しました。
呉駅から小型フェリーに乗って江田島という島に行きます。
そこからさらにバスに乗ってやっとたどり着く。
訓練に集中するためにこういうクソ田舎に海軍兵学校を作ったそうです。
温暖な気候なのも理由でしょう。
受付で名前住所電話番号、入館時間を書いて敷地に入る。
見学ツアー参加者は多く、大部分が老人だった。。
働いてない老人は平日に見学しろよー、と思った。
案内係は海上自衛隊OBのご老人でした。
大講堂です。皇室の人とかも来ることがあるらしい。
表門は平民門。、裏門は貴族門というらしい。さすがに今はそう言わないらしいが。
幹部候補生学校庁舎。
戦争映画やドラマで度々使われる建物です。
「この世界の片隅に」は呉が舞台でこの学校も出てくるんだとか。
どことなく東京駅に似ている。
山本五十六もここで学んだんだとか。
横長の建物ですが、戦艦と同じ長さにしてあるそうです。
何の戦艦かは忘れた。
教育参考館という海軍の戦争の歴史の展示館です。
この中の物は撮影禁止でした。
海軍の歴代の元帥やら大将やらの写真がズラズラと並んでました。
東郷平八郎とか、先の山本五十六とか。
軍服に勲章をジャラジャラと付けて。
何だかなぁ、、と思いました。
数々の海上戦の様子の絵画も多くありました。さすがにその写真は無かった。
特攻隊が出撃する前に書いた遺書も多く展示されてました。
皆二十歳前後の青年だと思うが、どれも毛筆で驚くほど字が綺麗であった。
字が綺麗な遺書だけ展示してるのかな。。生還してたら習字の先生になれるんじゃないかと思うほど。
特攻隊として死んで行った人は2.6万人程いるようで、その全員の所属と名前が刻印された石碑がありました。
JALの犠牲者の石碑を思い出した。
また、戦時中に喪失した船を示す世界地図がありました。
それこそ無数の戦艦が世界中で沈んでいる。。
控室に展示されていた戦艦ミニチュアモデルの数々。
もっと迫力ある物や映像を見れることを期待してたけど、ちょっと期待外れだったかなぁという印象でした。無料だから文句は言えませんが。
ちなみに海軍カレーという名物をよく聞きますが、
訓練等で潜水艦で出港すると、毎週金曜日の食事メニューがカレーだそうです。
これはそうしないと曜日の感覚がわからなくなるからだとか。
術科学校を後にして呉駅まで戻り、これも海上自衛隊の史料館である
「てつのくじら館」に行きました。
てつのくじらとはもちろん潜水艦です。
ここもありがたいことに無料です。
現役を引退した潜水艦が展示され、呉のランドマークのようになっています。
ちなみに隣にはやまとミュージアム(有料)がありますが、時間無くて行けませんでした。
潜水艦の中に入れました。以下はその写真です。
3段ベッドで狭そうです。
映画とかでよく出てくる作戦会議はこういうテーブルでしてるらしい。
艦長室。
いかにもという感じの機械や配線、計器の数々です。
こんな感じで海軍の街呉を満喫して帰って来ました。
つくづく思うこと。
もし戦争がこの世に無ければ、無数の戦艦も潜水艦も戦闘機も空母も作る必要無い。
特攻隊で死ぬ若者もいないし、遺書を書くことも無い。
軍服来た老人達の写真も無い。防衛費も不要でその分借金は減る。
そう考えると人間ってホント愚かだなぁ。。と思いたくもなる。
しかし、それはきっと間違いで、戦争や殺し合いをすることこそが人間の本性、存在意義なのだろう。
世の中から戦争が無くなることは有り得ないし、戦争によっていろんな技術や経済が発展してきた。戦争が無いと人間は維持できないのだろうと思う。
もしかしたら人口爆発を抑制するために定期的に大規模戦争が起こり、災害やウイルスのパンデミックが起こるように世の中は出来てるのかも知れない。
今日本経済は確実に終焉に向かっているが、もし再び経済成長を起こせるとしたら、それは世界大戦または超大災害、アウトブレイクが発生して全てを失い、何も無いところからスタートした場合かな。。
等と、大して意味の無いことをつらつら思いながら帰宅したのでした。