人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。ニート生活を経て2021年4月より底辺職をしながら細々と生きる初老クソ親父の無駄口です...

2018年11月

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私は幼い頃からずっとテレビっ子である。
そんな私にとって、ビデオレコーダーは世紀の大発明である。

大学生で独り暮らしを始めた頃から今に至るまで、ちょっとでも気になったテレビ番組は片っ端から録画していた。
今までに録画した番組数は千は下らないだろう。
万までは行ってないと思うが、

そしてそのうちのたぶん8割以上は見ないまま無くなっている。
録画するスピードより、見るスピードの方が遅いからである。
余裕がある時にじっくり見ようと思うのだけど、
社会人になると平日は仕事のストレスで見る余裕は全くなく、
土日も出かけたりしたら見ないし、我ながらアホである。
まぁ、退職したらいくらでも見る時間はあるわ、とか思ったら大間違い。
そうこうしているうちにビデオデッキが壊れる。消耗品なので必ず壊れる。
暇はあっても物理的に見えなくなるのである。

VHSテープの時代はデッキを買い換えてもテープを再生出来たが、
そのうちVHSの時代は終焉し、貯まったテープ100本位が無駄になった。

ハードディスクに録画するようになっても、10年もすればレコーダーの寿命が来て
HDDが壊れ、録画はパーになる。
そういうことを既に2回経験して、録画数百時間分を見ないまま失っています。

ここまで経験してさすがに悟った。
録画は直後に見ない限り、一生見れない。ということを。
未だにめぼしい番組(だいぶ減ったが)は録画しているが、見たいものは最長でも1ヶ月以内に見るようにしている。
そうじゃないものは消える前提で万一見れたら儲けものと思うことにした。
テレビドラマは最近はネット動画の見逃し配信に頼ることにした。
一週間の期限があるが、むしろ習慣になっていいかも知れない。
だいたい2話見たら、見るの辞めるかどうかの判断がつく。
今見てるのは下町ロケットだけです。

というわけで、名作映画やサッカー、ラグビーのワールドカップの名勝負、アメフトのスーパーボウル、海外ドラマ等々、今まで見れずに消えて行った番組は数知れず。

デジカメ、スマホの普及で今は写真も全てデジタルであるが、あれも遠くない将来にディスクが壊れて消えることは明らかである。
子供の成長や旅行の記録も早晩全て消える。
ハードディスクのデーターはそういうものである。
それを防ぐにはネット上に保管するか、USBやDVDに入れるか、となるが
そこまでする元気も無ければそんな価値のある写真でも無い。

だいたい人間の寿命もたかだか数十年なんだから、しかもろくでもない人生なのだから記録が残ったってしょうがないのだ。
と最近思うようになった。

しがない人生は何の記録も残さず、人知れず終わるのが正しい。
 

3
こないだの日曜にディズニーランドのアトラクションである、
ミッキーの家とミートミッキー
が11時間待ちを記録したらしい。
その日はミッキーマウスの誕生日とされる日で、生誕90年だったとか。

ミッキーの家と言えば、兵庫の田舎で会社の金を数億円横領してたババアが、その金で建てた通称ミッキーハウスと言われたミッキーだらけの家の方が先に浮かんでしまう。
あのババアも横領金を使ってミートミッキーに行ったことでしょう。

着ぐるみと写真撮りたいだけならエントランス近くでもよくミッキーやプーさんが現れて写真撮った記憶もある。
もっとも日曜ならそういうところも3時間ぐらいは並ぶはめになりそう。
おまけにパレードの時間になったらいなくなるし。
一応ミッキーが同時に2体見えたら駄目だから。夢の国だから。。

夢の国と言えば、あそこで着ぐるみ来てパフォーマンスしてる契約社員さんとかが、重労働で体を壊したとかで裁判起こしてたなぁ。
まず従業員の病気を治すという夢を叶えてやれよと言いたい。

私が娘と舞浜に行ったのは4年以上前のディズニーシーが最後で、もう体力が無いので決して行かないだろう。
娘が小さい頃は関西から飛行機に乗ってよくTDLに行った。そして毎回のようにミートミッキーに行った。
着ぐるみとたった2分程抱き合って写真撮るという馬鹿みたいなアトラクションだが、子供が望むので行くしかなく、毎回2時間以上は並んでた気がする。
それにしても11時間も並ぶとは、子供も並んでたんだろうか?
あそこに入れるのは子連れの人だけにして、大人だけで入ろうとする馬鹿な連中はデフォルトで11時間待ちにしてしまえばいいのに。

数分の楽しみのためだけに、11時間も待てるような民族は日本人だけじゃなかろうか。。
と思ったが、そうでもない。
去年のカウントダウンのニューヨーク。私と娘はあそこで11時間ほど立ちっぱなしでいた。
あそこには世界中の人が同じようにいました。
アメリカ人は馬鹿らしくていなかったかもしれないが、、

あの11時間は鍛練だったなぁ。
マイナス13℃位の極寒の中だったし、トイレも行けないし、そんなに待って何の見返りがあったのかと言うと、NYのカウントダウンを生で見たという既成事実だけ。
マライア・キャリーとかも見れたし、goodsをもらったりもしたが、あの時はただひたすら、早く終わってホテルに帰ることだけが心の支えでした。(笑)
寒すぎて脚が壊死するかと思ったし。
きっと、他の外国人たちも同じ思いだっただろう。

人間って、意外とどうでも良いことのために待てるもんなのかも知れない。

どうでも良いと言えば、マニアック高校野球の記事、誰も読むわけ無いのでパスワードを無くしました。
マニアック高校野球記事
暇なときにちょっとずつ書き足して行くつもりです。
近い将来痴呆になる前にマニアックな記憶を残すために。
 

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私は阪神ファンですが、広島に住んでるので見渡す限り、カープファンしかいない。
リーグ3連覇した最近、図書館に行くとカープコーナーが出来ていた。

その中にタイトルの本があり、懐かしくて借りてしまいました。ファンでも無いのに。

広島は球団創設以来、今年まで9回リーグ優勝し、3回日本一になっているが、古葉監督時代に4回リーグ優勝、3回日本一になっている。
日本一は古葉監督しか成し遂げていない。
名監督と言えるだろう。

古葉監督就任1年目に球団史上初のリーグ優勝をする。その時私は7歳で野球というものの存在すら知らなかったので当然覚えてない。
よって、この本の著者はきっと老人だろうと思ったら、何と40歳にもなってない人だった。
彼が物心ついた時、既に古葉監督は退任していたらしい。
記録とビデオと取材のみでこの本を書いたのだそうな。
以下、古葉監督の歴史を思い出して黄昏てみる。

初優勝の時は長嶋が巨人を引退後即監督になったが、最下位を独走した年。
この頃の主力で私でも知ってるのは山本浩二、衣笠、池谷のみ。
知らないのは大下、外木場、ホプキンス、シェーン等。
特に外木場は良い投手だったらしい。
山本、衣笠はその後10年以上中心選手だった。

それから4年後に2度目の優勝。
そして近鉄との日本シリーズで江夏の21球で日本一になる。
この年、私はすっかり野球好きになっており、父親が広島ファンだったので日本シリーズを観戦に行った。
2戦と6戦。いずれも近鉄が圧勝した試合だった。
よく覚えている。
この頃の主力は上記2人と高橋慶彦、水谷、ギャレット、ライトル、水沼、木下(今は焼き鳥チェーン店オーナー)等。
投手は北別府、山根、池谷のローテ。そして抑えに江夏。この頃は抑えが2、3イニング投げるような時代だった。
近鉄の選手も印象的だった。
平野、小川、栗橋、マニエル、アーノルド、梨田、石渡(伝説のスクイズ失敗する)、吹石(今や福山雅治の義父)。投手は井本、鈴木啓示、柳田等。

その翌年も連続日本一となる。私が小6の時。

そこから4年後、私が高1の時、4度目の優勝。
この時の新たな主力は長島(MVPになった)、達川、長内等がいた。
投手は川口、大野がいた。津田はいたかな?
阪急のブーマーを抑え込んでの優勝だった。

その翌年、阪神のあり得ない優勝でショックを受けたのか、その年限りで古葉監督は辞任した。

その翌年、阿南という誰も知らない人が監督になり、さくっと優勝する。
日本シリーズでは西武に3連勝し、ぶっちぎりの日本一かと思いきや、その後まさかの4連敗で敗退。
この時の西武は石毛、辻、秋山、伊東、高卒新人の4番清原。投手は東尾、工藤、郭、渡辺等。
後に長く続く黄金時代の幕開けだった。
そして山本浩二はこの年で確か引退する。

さて、現在のカープはセ・リーグでは敵無しの3連覇だが、日本シリーズではパ・リーグに全く手も足も出ない。
パ・リーグに対抗できる名監督が出てきて欲しい(そして阪神の監督になって欲しい)ところだが、全く思い浮かばない。。
 

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西原理恵子の表題の漫画を最近、図書館で借りて読みました。
一部で絶大な高い評価を受けているようなので、どんなんかなと思って。
上中下巻の文庫本でした。

読んだ感想。
先ず絵が下手である。
蛭子能収の次ぐらいに下手かも。。

ストーリーの簡単な紹介。
海と山に囲まれた底辺の田舎町を舞台にした、親に捨てられた極貧の3人姉弟を中心とした人間模様。
この町に住む大人の男はほとんどがヤクザか浮浪者。
女はほぼ100%が売春で生計を立てている。
そして男女問わずほとんどが麻薬中毒になっている。
よって平均寿命は短い。そういう設定である。

これは西原理恵子の出身地の高知の田舎町がモデルとも言われているが、たぶん嘘である。
いかに40年以上前と言えども、日本にそこまで悲惨な地域は無いだろう。
シエラレオネの紛争地帯や、南米のスラム街の生活みたいである。
死刑囚永山則夫の子供時代もこんなんだったのかも。

西原理恵子はテレビで見たどこかの講演会で、
子供時代を過ごした高知は、まだ男が女に暴力を奮うことが許されていたところで、
女は皆不良に犯されて若くして子供を産んでた。
こんな暴力の中で一生が終わるのが嫌で東京に出た。
みたいなことを言ってた。

きっと、出身地が大嫌いなのだろう。
だから子供時代の悲惨な生活をさらにデフォルメした設定にして、
出身地の当時の大人達を蔑みたかったのかなぁと思ったりもする。

ストーリーの続き、
主人公3姉弟は住む家も奪われ(母親が売っぱらったから)、姉かの子が愛人に与えられた家に住む。
そんな、売春で生活する姉を見ていられない長男一太は、家を出てヤクザに弟子入りする。いつか失った家を買い戻そうと思っている。
稼ぐ方法は、麻薬の売買、トルエン等を工場から盗み転売、生活保護者からイカサマ賭博で金を巻き上げる、浮浪者に当たり屋をさせて病院から治療費の一部を賄賂で貰う、人を殺す、等等。
なかなか参考になる。
一太が家を買い戻そうとしてることを知ったかの子は、旧家に放火して消失させ、夢を諦めさせる。
失意の一太は、ヤクザ仕事で半殺しの目にあったこともあって、町を完全に捨てて遠くでおでん屋をする。
そしてかの子は、幼い弟二太も養子に出して一家は完全に離散して終わる。

こんな話でした。
かの子の行動は、こんな町に男がいつまでも居てはいけないから、出て行かせたということだろう。そして自分はいつまでも売春を続ける。

絵はほのぼの系でありながら、内容はこんなシュールでした。
面白いという程でも無かったが、底辺を直視させるような投げやりなストーリーが私好みではありました。
毎日かあさんとは違って、決してテレビ放映はできない漫画です。
映画化はされたらしいが全然売れなかったそうである。

今やすっかり勝ち組になって故郷を見返した感のある西原だが、
高須医院長をパトロンにしてるあたりは、当時の生活パターンがまだ抜けないのだろうか。。
 

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