人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。これにより名実ともに負け組になった初老親父の無駄口です...

2013年12月

今年最後の日は、6月〜10月に自宅療養してた頃の記憶を書きます。

入院中は行動が制限されていたが、退院後はその制限もなくなり、
楽になったかと思いきや、、、
妻はパートで働き、娘は勉強漬け。
肩身が狭くて、入院時以上に居心地が悪い日々でした。

最初の数週間は入院時と同様、ほぼ寝たきりでした。
その後は少しづつ起きて家事をしたり、図書館に通ったり、
ウォーキングをしたりして過ごしました。

通院は週に一度だけ。
主治医の都合でそうなったのだろうけど、
おかげで週6日は無駄に過ごし、休職が徒らに長引きました。

あの頃、暇なので図書館で本を沢山読みました。
本来なら仕事に関係ある本でも読むべきだが、もう復帰はできないだろうと思っていたので小説ばかり読みました。

面白い本もいくつか読みましたが、、、
人が働いている間に、仕事休んでこんなことしてるという後ろめたさが大きく、あまり堪能できなかった。

面白いと思った本は
ジェノサイド(高野和明)
赤い指、麒麟の翼(東野圭吾)
など、
イマイチだったのは
悪の教典(貴志祐介)
ひどい内容だけど妙に惹かれたのが
苦役列車(西村賢太)
っていう感じでした。

苦役列車は直木賞受賞作で作者の自伝的小説です。
父親が婦女暴行で服役し、あわてて家族で引越しし、中学途中から学校へ行くのを辞め、
日雇いで小金を貯めてはソープに行く。
そんな話でした。

自分も家庭環境が悪かったらこんな生活したかも知れないなぁと、妙に感慨深かった。
でも彼の小説はもう二度と読まない。

ちなみに作者は、そんなその日暮らしを30年ぐらい続け、貯金が多くても数十万だったのが、直木賞で一気に億万長者になったそうである。

というわけで良いお年を。

今年の仕事がようやく終わった。

転籍してから在籍すること14ヶ月。
そのうち出勤したのは丁度半分だけ。
大ばか者である。

入院して多額の費用を失ったので、健康保険で少しは
穴埋めしようと、診断書などを付けて給付金を請求しようとした。

入院中の給付金はそれで問題なかったが、
その後の自宅療養の分を請求をするには、
休業を証明する書類に上司の署名が必要であることを知った。

今のところ、残業を免除してもらい、
重要な仕事からは完全にはずされ、周辺のどうでも
いい仕事で許してもらっている。
そんな状況で、保険の署名を上司に頼むのは万死に値する。

そんなことをしたら、それを機に仕事内容を本来の仕事に
戻されでもしたら、またうつ地獄に戻ることは間違いない。
自殺行為である。

自宅療養の保険金は諦めた。
数十万円を失うことになるかもしれないが、
そのために人生を終わらせたくはない。

今は平穏に娘の受験成功を祈りたい。

うつ病に倒れた時、もう一生友人関係とは連絡を断とうと決めた。

しかしながら、復職後なんとか仕事も休まずに二ヶ月過ごし(仕事が出来ているかは別問題)体調も食欲も予想外に良く、
気分的に友人との連絡を再開してみようかと思い始めた。

それでSNSで友人にコメントしたり自分の近況を少し書き込んだりした。

ほどなくして、関西在住の中高時代の友人から、仕事で山口に行くので帰りに会いたいと連絡があり、急で悩む間も無く承諾した。

医者と職場関係以外の人と会うのは久しぶりのこと。
風貌がすっかり変わって(特に頭髪)気付いてもらえないのではと心配したが、問題なく会えた。

病気のことは深く突っ込まれることもなく、学生時代の思い出に花が咲き、
無難に名残惜しみながら別れることが出来た。

中高生時代の同期はほとんどが大出世して企業の管理職や、起業して取締役、セレブ、
そんなのばかりで毎度お馴染みの劣等感に苛まれたが、いつものことである。

先日の映画鑑賞に続き、これで、また一般人並の生活に少し近づけたかなと小さい満足を感じた。

娘の受験が終わったら、週末を利用して広島を旅したり、名古屋や熊本の友人を訪ねたりしようかなと考えるまでになった。

全ては今後の仕事への適応次第で、そんな気分も吹っ飛ぶかも知れないが。

2
先日、NHKの中国地方のみで放送されたドキュメンタリー番組を見た。
私が去年退職した会社で、同じ時期に早期退職した人達のその後を紹介するものだった。

と言っても、山口県にある工場に限っての話ですが。

四人の転職を追っていた。

それぞれ次の仕事に就くのに一年ほどかかりながら、お好み焼き屋経営、運送業のトラックドライバー、介護士、鍾乳洞の説明員になっていった。

お好み焼き屋の人はよく見なかったので割愛。

鍾乳洞の人は元クリーンルームで作業する班長で、子供が3人いて、2500万円の一戸建てを8年ほど前に購入していた。
山口の田舎で2500万と言えば豪邸である。
しかもその人は九州の工場への転勤を受け入れれば辞めずに済んだのに単身赴任を拒否して早期退職している。
鍾乳洞で日給7000円の一年契約で働き始めたとのことだった。

トラックドライバーの人は、元工場機械の保全の仕事をして、数々の資格を取り、高卒では異例の総合職に昇格したと言う人だった。
前会社の経営が傾いた頃に離婚している。

介護士の人は前の仕事内容は忘れたが、介護の仕事が辛くて、辞めれるものならすぐにでも辞めたいというようなことをつぶやいていた。

いずれの人も結果だけ見れば、収入は大幅減。慣れない客商売に苦しみ、時代の流れに翻弄されているという、台本どおりの出来栄えである。

でも、彼等には本当に悲壮感はあるのだろうか?
制作側の要求でそう装っているだけ、やらせである可能性も。

彼等は多額の割増退職金を手にしている。
40代後半なら1500〜2000万円か。
それだけ貰えて、しかも物価の安い田舎なら家族持ちでも5、6年は無職でも大丈夫だろう。

仕事が辛いと言っても、工場の班長や保全の方がよっぽど辛いと思う。
品質改善のノルマや小集団活動、安全衛生や環境管理の厳しい監査など精神的に辛いことは多々あっただろうと推測する。

それに比べると今の仕事は給料は安く、体もきついが、精神的には随分楽になったのではないか。

私は割増退職金を捨てて、親会社転籍を選び、結果精神が崩壊した。
そんな私に比べれば、彼等こそ勝組に思える。

12月も半ばとなり、とても寒い日が続きます。

職場復帰して2か月が経った。長い2か月でした。

一年前の今頃は、、、
すでに挫折してて、絶望感から自殺を考え始めてたのが
この頃だった。
それから翌3月にかけて鬱が加速度をつけて悪化していった。
そして長い長い休職に至ってしまった。

さて、今年来年はどうなるか。。
同じことを繰り返す可能性もある。
東京の主治医もそう予言していたし。

家族と離れて、もう40日ほど経った。
今までで一番長い日数離れている。
一週間後には東京に帰る。
娘が受験勉強の追い込みなので、対して楽しいことはないが。

仕事納めまで後2週間。
無事終わることを願うばかり。

入院中の生活は、自由な時間は山ほどあった
けど、行動の自由は極端に制限されていました。

お金は持てない。携帯はもちろんダメ。
爪切りや髭剃りさえ取り上げられる。
髭剃りは日に一回、介護士が持ってくるのを待ってするしかない。
ベルトも取り上げられる。
これで首を吊るかもしれないから。
精神異常者はそういう扱いである。

することと言えば、廊下を徘徊するか、共有スペースでテレビを見るか、
唯一持ち込みが許されているラジオを部屋で聴くか、ぐらい。
自分は部屋に閉じこもってラジオを付けてることが多かった。

たいして聴きたくもないけど、ナイターを毎日のように聴き、
昼間の帯番組を聴き、(赤江珠緒や吉田照美や週末の久米宏や爆笑問題など)

でも、当たり前のことだが、ラジオの向こうの人々は皆働いている。
自分は働いてない。
そう思うといたたまれなくなって消すこともしばしば。。。
今では当時のことを思い出してしまうので、ラジオは一切聞かない。

ずっとベッドで寝転んであまりにも動かないので、退院後四十肩になってしまった。
今でも治っていない。

肝心の治療について、
10月に広島の病院に変わるまで、約半年に渡って東京の病院の主治医と心理士と付き合ったことになる。
効果はあったのか?二人のおかげで7か月の休職で済んだのか?

正直、精神科医、心理士は何の助けにもならなかったと思う。
回復したのは大部分は時間の経過によるものだと思う。

薬(特に睡眠薬)はそれなりに役に立った。
睡眠薬は今でも手放せない(今後も一生手放せないだろう)

認知行動療法というのをやったが、何の意味も無かった。
考え方を変える訓練なんて、怪しい宗教じゃあるまいし、そんなことしたって辛い仕事が楽になるわけもなく、無能な人間が突如有能になるわけもない。

主治医は、
「来年の春頃にまた同じことを繰り返すような気がする。」
と、不気味な予言をした。。。

何の役にも立たなかった主治医だが、
この予言だけはきっと当たるような気がする。
これは運命のようなものかも知れない。

師走になりました。

休日は、買い物と病院以外はほとんど自宅にひきこもってましたが、
そろそろ、もっと動こうと思うようになってきました。

それで、テレビで紹介されて興味を持った表題の映画を
見に行きました。
映画の日で1000円だったので。
東京の家族は苦しい思いをしながら生活してるのに、、、
と若干罪悪感を感じながら。
映画を見るのは1年半ぶりぐらいか。

広島の田舎にいるので、映画館には
徒歩で駅へ→駅から無料シャトルバス
という長い道のりでした。とある複合施設のわりと綺麗な映画館だった。

内容は実話を元にしたもので、
トム・ハンクスが船長を演じる貨物運輸船がソマリアの海賊に攻撃され
人質になり、救出までの話でした。
トム・ハンクスの熱演やドキュメンタリー風の映像、
音楽のセンスなど、満足の行くものでした。
だいぶ昔に見た「Cast Away」を彷彿する演技だったと思う。

海賊側の事情(本当は漁師だが海賊をしないと生計が成り立たない)
も描かれていて、
自分は、人質に取られたアメリカ市民よりもソマリア海賊側に
感情移入して見ていました。
きっと挫折を経験したから(今も立ち直れたとは言えない)
そんな風に思うのかもしれない。

冒頭部分でトム・ハンクスが
「昔は頑張れば、それなりに暮らせた。
今はそうじゃない。子供達が不憫だ」
みたいな意味のことを言っていたが、本当にそうだと思った。
逃げ切れなかった自分も哀れだが、子供が本当に可哀想。
などと、自分の家族にも思いを馳せました。

おとといは部の忘年会にも恐る恐る参加した。
参加者は約50人。皆役職付の人達。
とても楽しめるものではなかったが、なんとか終わった。
久しぶりのアルコールも普通に飲めた。

そんな風に、徐々に病気前の生活に近づけていけたらと思う。

このページのトップヘ