人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。これにより名実ともに負け組になった初老親父の無駄口です...

2013年11月

仕事の方は復帰後初めての給料が出た。
休職中の方が手当や見舞金その他でもらえる額が多かったけど、
働いてお金がもらえるのは8か月ぶりのこと。
(働いてると言い難いかもしれないがとにかく出勤はした)
来年2月ぐらいまではなんとか続けられるかもしれない。
と思ったり、まだわからないと思ったり、いろいろ考える。

来年2月と言えば、娘の進学先が決まっている頃である。
娘の受験勉強に暗雲が漂っている。
というか、絶望感が漂っている。

起きている間はほとんど勉強しているのだが、
勉強の仕方がまずいのか、実力の限界なのか。
たぶん後者だろう。。。
第一、第二志望の学校には模試の偏差値が大きく足りない。
時間が足りない。

妻が困り果てて電話してきた。

勉強の内容が難しすぎて、親にはアドバイスしようがない。
塾を信じるしかない。

高校受験なんて、長い人生の中では些細なことである。
それはわかっている。

でも、娘にとって、いくら頑張っても目標には届かないという事実は、
人格を変えてしまうかもしれない。
もう頑張ることを辞める人生に転換するかもしれない。
私のように。。。

親としてはどんな学校に進学しても祝うつもりだが、
本人にとっては挫折の15の春になるのか。
辛いものである。

今年から我が家は辛いことばかり。
もう笑える日は来ないのだろうか。

大学時代の友人で、起業して成功している人がいるのだが、
彼は本を出して、第3刷まで売れているそうだ。
amazonでも売られていた。
きっと印税でだいぶ儲かっているだろう。

同じ大学、学部を出ていても、えらい差である。
上を見ればきりがない。下を見れば自分がきりである。

精神科入院中の生活は、簡単に言えば
「労働の無い刑務所」
でした。

部屋は個室、四人部屋、八人部屋があった。
八人部屋などはとても人間扱いとは言えない酷い環境ですが、恐らく生活保護を受けてるような人達が入ってると思われた。

自分は個室に入ったが、おかげで部屋代が一日五千円以上もして大出費だった。

食事は三食出たが、病院食なのでうまくは無い。しかも食器がとても古くて傷だらけで、見るからにまずそうだった。
患者に対する病院の態度の表れなのだろう。
一番まともな食事は朝ごはんの食パンにマーガリンとジャムをぬったものだった。

入浴は週にたったの二回のみ。
夏前に退院したが、夏になっても週二回だったら自分は耐えられなかっただろう。
入浴と言っても、オムツをしてる老人達と一緒に入るので、湯船には決して入らずシャワーのみだった。

他には週二回運動療法があった。
と言っても自転車マシンを漕ぐだけで、20分ほどで終わってしまう。

治療らしいことは主治医の診察が週一回15分ぐらい、心理士のカウンセリングが週一回40分ぐらい。
看護士による体温血圧脈拍測定が毎日五分ほど。

基本的にやることはこれぐらいで、あとは自由でした。
自由と言っても、外出不可なので
共有スペースでテレビを見る、院内の廊下を徘徊する、部屋で寝る
ぐらいしかすることは無い。

この時の自分は、他の患者と接触しようという気は全く無かった。多くの患者が統合失調症か痴呆症で、失礼ながら動物園にいるようだった。

逆に医師や看護士などスタッフの人にも自分から話しかけることは無かった。
自分にすっかり絶望してしまっていた私は、まともに生活してる彼等とは、恥ずかしくて関わることは出来なかった。

と言うわけで自由時間はほとんどベットに寝転んていた。
恐らく一日20時間以上は寝転んて過ごしていただろう。

つづく

職場復帰して、丁度一か月が経過した。
最初の週はもうだめかと思ったが、なんとか一か月休まず勤務した。
次の一か月はどうなるかわからない。

長い長い一か月だったが、その7倍の長さ休職していたのだから、
万死に値する。

最悪だった今年前半に比べて状態はましになったのか?

食欲、体力は完全に戻ったと言っていい。
最近テレビをよく見るようになってきた。
以前は全く見る気がしなかったが、これも回復と言っていいのかな。

変わらないのは、眠れないこと。
復職してから、あまり熟睡できなくなって薬が増えた。
最近は風邪もひいて、薬漬けの毎日である。

仕事への恐怖感、一般人への劣等感、対人コミュニケーション能力の
欠落は一向に改善していない。
これは一生改善されないだろう。
職場復帰が軌道に乗るより、再休職になる可能性の方がまだはるかに高い。

とりあえず、次の一週間休まずに会社に行くことを目標にしよう。

今年は年賀状どうしようかな。
真っ当に暮らす友人と関わる資格はない気がして、出す気がしない。
まだまだ自分は精神異常者側の人間だと思う。

今、娘は中学の最後の定期テストの期間。
今日は志望校の模擬試験もあるようだ。
こんな親で申し訳ないが、来春は笑えればいいなと思う。

私は今年の4月から6月まで
約三ヶ月間、精神病院に入院していた。

入院の原因は詳しく書けないが、
うつ病が悪化して妻の手に負えなくなった
というのが簡単な理由です。

その時空きがあって入院したのは、
東京郊外の個人経営のそこそこ大きい、
しかしかなり古びた病院でした。

そこでの生活を忘備録代わりに書きます。

同じフロアに入院患者が5、60人はいただろうか。
患者を見てると、精神科と言うよりも
7割方老人ホームだった。
きっと老人ホームに入れるよりも、こんな精神病院にぶちこんだ方が安くて済むのだろう。

同世代か歳下と思われる人は2、3人のみ。
そんな彼等は四六時中歌いながら徘徊するなど、とてもコミュニケーションできるような相手ではなかった。

入院中、親しくしゃべるようになった患者が一人だけいた。
その人はバングラディッシュ人の男性。年は自分より3つぐらい若かった。
彼は日本語を完璧にしゃべり、誰とでも親しげに明るく話す人だった。
話を聞いていると、きっと仕事もできるんだろうなぁと思った。

そんな彼が何故こんなところに来たのか。
仕事に集中しすぎたのか、感覚が敏感になってしまって、
外国人だから好奇の目で見られることや、少しの音でもやたら
気になるようになってしまって寝れなくなったとのこと。
看護婦をしている奥さんの勧めでここに来たと語っていた。

当たり前のことだが、こういうまともな人はすぐに回復して、
たった2週間ほどで退院していった。

入院3ヶ月中、話相手がいたのはたったの2週間だった。

長くなるので続きはまた。

職場復帰してから、今日で17日間勤務した。
働いていると、1日が経つのが異常に遅い。
週末が来て、やれやれと言った気分。

復帰と言っても、まだまだ復帰したとは言えない状況。
残業、出張、休日出勤は禁じられている。
毎週産業医と面談が義務付けられている。
仕事内容も、今のところは以前よりも若干ゆるい。
要するに不完全な社員という扱いを受けている。
その方が助かるのは事実だが。

職場のフロアの人の多くが、自分が長期休職していたことを
知っている。恐らく病名も知っているだろう。
周りの軽蔑のまなざしが突き刺さる。

相変わらず役職がついたままで、
メールや資料で役職のついた自分の名前が載っているのを
見るたびに心臓が潰れそうになる。

正直残業が無いのは助かっている。
しかし、このままで済むわけがない。
いずれ仕事が絶望的に難しくなり、残業も許可されて、、、、
3月頃のような状況に戻るだろう。
職場の人達も、そうなることを計算に入れていて、
自分に距離を取っているような気さえする。

この会社の人達は皆、毎日10時頃まで働いている。
課長以上は暗黙の了解で土曜も出勤を強制されている。
一人あたり、20か30種類の仕事を並行して行っている。
今の自分はそのうちの一番簡単な仕事を1つか2つだけ、
それも満足にできてなくて、恐怖におびえている。
それでも役職がついたまま、、、

7ヶ月休んでいる間に思い知ったこと、
「上には上がいるが、下には下はいない。自分が一番下」
ということ。
思い返せば、自分より仕事ができない人には一度もお目に
かからなかった。
病院でも主治医から、上から目線で常に批判されてたし。
人間として生きるのには向いてないのだとわかってしまった。
そうなると、生きていることに意味を見出せなくなり、、、
虚しい毎日です。

妻とは毎日のように電話をし、先週末は帰宅した。
でも、仕事の話は一切しなくなった。
その話をすると、お互い感情的になり、口論になることが
わかっているから。

辛い現実は見ないようにしている。
いずれトリガがかかって、崩壊することは自分も家族も
薄々わかっていながら。

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