人生谷あり底あり

うつ病休職歴あり、自殺未遂歴あり。 2020年6月に早期退職しました。ニート生活を経て2021年4月より底辺職をしながら細々と生きる初老クソ親父の無駄口です...

2013年10月

復職して約10日間が過ぎた。

きっと失敗するだろうと思いつつ、家族のいる家で
これ以上ニートでいるわけにもいかず復職を決意した結果。

やはり現実は思っていた以上に厳しかった。
元々精神科医も産業医もしぶしぶ認めた復職だった。

職場の態度も厳しかった。
気遣いなど一切されない。
自分がいない7ヶ月の間、仕事が増えてえらい迷惑を蒙ったと
言わんばかりの態度をされた。
「残業しなくていいよな」
「病気になったもん勝ちだよな」
という、声が聞こえてくるような気がした。

会社の人なら誰でも、問題なくこなせるであろう雑用のような
仕事でも、自分には果てしなく難しい。
怖くて怖くて震える日々を過ごしています。
もう潰れてしまうのかな。。。

妻に電話でそんな弱音を吐いていると、心底軽蔑された。
「復帰して変わってくれると思ってたのに、前と同じじゃない!」
「私は癌が再発して早死にするかもしれないのに。
なんでしっかりしてくれないのか!」
「娘はあんなに頑張っているのに!」
最後はお互いほとんど無言になって電話が終了した。
もう電話はないだろう。

自分は、人間の男として生きていくには、あらゆる面で
実力が著しく不足している。

医者も会社も家族も、みな自分を批判する。

生きることは本当に辛い。

来週から職場復帰が決まった。

この日が来ることをずっと恐れていた。
何か月もニート同様の生活をして、家族のためにも
早く復帰しなければと思ってはいたものの、
働くことが怖くて仕方がない。
一度逃げた仕事に戻るのだから。

復職面談も辛かった。
診断書があるから仕方なく復帰を認めるという形になったが、
産業医も上司も態度は冷たい。
彼等の本音が聞こえてくるようであった。
「どの面下げて戻ってきたんだ?向いてないんだろ?」
「次失敗したら即刻辞めろよ。」

職場にも顔を出したが、辛い過去が蘇って来た。
来週からここで一日中過ごすのか。。。
仕事せずに座っているだけでも辛いだろう。

日本で男として生まれた以上、まして家庭を持っている以上、
たとえ先に絶望しかなくても進むしかないのだろう。。。

失敗するのは目に見えている。
妻もそれを察してて、喜んでる様子はなくむしろ悲しんでいた。
そこをわかってくれているだけでもよしとしよう。

せめて娘の受験が終わるまではしがみついていたい。
でもそれは極めて難しい。
去年は4か月しかもたなかった。

カウントダウンが始まってしまった。
退職へのカウントダウンか、死へのカウントダウンか。

心が死んだようになって、休職した後、
体のあちこちが連動したかのようにボロボロになっていく。

視力が急速に衰え、頭髪が急速に減っているように感じた
のは入院中から。
体重も減り、体も小さくなったようだ。

退院後の7月頃からは左肩が痛くなって上がらなくなった。
四十肩だと思われる。
それが悪化し、今は肩関節が固まってしまって
左腕が後ろに回らなくなってしまった。
これはきっと一生治らないだろう。

おまけに今は右肩も少し痛く、腰も痛い。
不眠と便秘は一年以上前から続いている。

こんな調子では近いうちに寝たきりになるかもしれない。
職場復帰が奇跡的にうまくいっても、動けなくなって
仕事できなくなったらお笑いである。

でも、体が元気で仕事に挫折するよりも、
仕事がうまく行って病気で死亡退職する方がいい。

会社から、また面接の呼び出しがあった。
もう復帰の期待はしていないが、万一復帰の話になったら、
それはそれで恐ろしくて逃げ出したくなる。

こんな情けない40代男は他にいるだろうか。
何のために生きているのだろう。

こないだ、会社で産業医との二度目の面談があった。

あわよくば、復職の日程が決まるかなと期待してたのだけど、、、
期待は粉砕されました。

内容は割愛しますが、自分の本音、弱さを完全に見透かされていた。

家族を安心させるために一刻でも早く復職したい。
でも、仕事に戻るのは怖くて仕方がない。
戻ったら、また近いうちに同じように逃げて休んでしまうに違いない。

上記のような本音を会社と産業医はすっかり見抜いている様子。
完全に不信感をこちらに持っていました。

まだ若ければ仕事をしながら修正も効くかもしれないが、
40半ばでこんな状態では、、、
期限一杯まで休職して、退職して欲しい。
というのが会社の本音であると感じました。

会社の様式の復職診断書を再び主治医に書いてもらって再提出
することになったものの、
きっとこれは時間稼ぎでもう復職は無いだろうなぁ。

妻に話すと烈火のごとく怒っていました。
怒りは一見、不誠実な会社に向けられているようだが、
本当は仕事のできない弱すぎる自分に向いている。

来年3月までは籍を置いておきたい。
それまでずっと休職でも仕方ないし、復職できたら3月までは休まず
にしがみつきたい。

そして、娘の進路を見届けたら、
貯金をすべて妻に渡して、真っ当な人生を降りることを考えたい。

去年までの40年あまり、家族にはそれなりにいい思いをさせてもらったし、
これ以上お荷物になるのは避けたい。

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